FILT

古市憲寿×上野 誠

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第23回目は『万葉集』について、文学者の上野誠さんにお聞きしました。

古市憲寿

構成/斎藤哲也

先行歌集ができて、

歌が蓄積され、

集大成として編纂された。

古市 『万葉集』の名前を知っている人や、一、二首なら知っているという人は多いと思うんですけど、全体像までわかっている人はあまりいない気がします。一言でいうと、『万葉集』ってどういう作品ですか。
上野 8世紀の中頃に編纂された日本語の歌集です。大陸から日本に文字が入り、文字を書ける人が増えてゆきました。口頭でやり取りをしていたものを漢字の音だけを使って、書き写すことができるようになったのです。文字のない時代だって当然歌はありましたが、中国から『文選』という優れた漢詩文集が入って来て、「俺たちにも文化あるんじゃね?」と歌を集めだしたのが7世紀後半の持統天皇の時代です。そうやって先行歌集ができて、歌が蓄積されていった。その蓄積を集大成しようと編纂されたのが『万葉集』です。
古市 現存するという意味では『万葉集』は最古だと思うんですけど、先行歌集があったんですか。
上野 現存はしていませんが、ありました。7世紀後半に宮廷の中で作られているし、それ以降も柿本人麻呂歌集とか田辺福麻呂歌集のようなものがポコポコできるんですね。そういう歌集を集めて歌を取捨選択し、『万葉集』に編纂されたと考えればいいと思います。
古市 『万葉集』に全体のコンセプトはあるんですか。
上野 『万葉集』は、日本の『文選』を手本としています。『万葉集』には雑歌、相聞、挽歌という三つの分類があって、これを「三大部立」といいます。雑歌は、宮廷の大切な行事や旅に関わる歌のグループ。相聞は恋歌、挽歌は死に関わる歌と考えていいでしょう。
 三大部立は『万葉集』を貫く基軸で、「俺たちも一応歌の分類できるよ。一応『文選』に沿ってるよ」ということを示す枠組みなんですね。それから、おそらく20巻を目指したいがために、「末4巻」といって17、18、19、20は大伴家持の歌日記をそのまま入れちゃってるんですね。だからこの4巻は、私的な日記が入っているんです。
古市 なるほど。終わりの4巻は数合わせのような感じで、個人の歌日記を入れているんですね。
上野 そう思います。ただ、私的な日記が残っているのは、僕らにとってはたまらないことなんですよね。大伴家持の人生を追体験できるわけですから。大伴家持はよく、派手な女性遍歴の人だって言われるけど、それはかわいそうです。日記が載せられているから女性関係が分かっちゃっただけで、当時としては特別なことじゃないんですけどね。

宴を通して、

都の歌のかたちが地方に広がり、

地方の知識人層も歌を作るようになる。

古市 『万葉集』には地方の人や庶民の歌が収められているとよく言われますけど、実際のところ、東北の人とか防人とか、地方の庶民が詠んだ歌はどのくらいあるんですか。
上野 日本の場合、国司が中央から地方に派遣されるわけですよね。でも国司が任地で仕事をこなすためには、その地の有力者である郡司の協力が不可欠なんです。
 だから国司は郡司やその息子たちを、宴を開いてもてなすんですね。宴を開けば、歌を歌う。宴を通して、都の歌のかたちが地方に広がり、郡司のような地方の知識人層も歌を作るようになるわけです。
 しかも郡司の息子たちは、国司の斡旋で中央に行くようになりますし、それが何代か続くと、地方の豪族の息子なんだけれども、ほとんどの生活を都でしているという人も出てくるんですよね。
古市 『万葉集』に入っている歌は、どれも五音と七音の組み合わせですよね。日本語の可能性としては、五音や七音以外だってありえたと思うんですけど、五と七になったのはどうしてなんですか。
上野 もちろん、当時の日本列島には五音句や七音句以外の歌もたくさんあったはずです。でも、宮廷が五音句と七音句を採用して、日本の歌の基本形式とした。なかでも、五・七・五・七・七のかたちをとる短歌体が中心になった。それが『万葉集』に収められたのです。それが、「やまと歌」の伝統を形作ってゆくわけですね。おそらく書く文学が生まれることによって、音数律を守るというルールが固まっていったんでしょうね。

古市憲寿

古代社会においては、

たくさんの女性を愛し、

交際をすることがステータス。

古市 当時の7世紀、8世紀の人たちの感性は我々と大きく違うのか、それとも共通する点も多いのか。上野さんはどういうふうに考えていますか。
上野 たとえば私が中学校や高校に講演で呼ばれたら、「1300年経っても変わりませんよ」と言いますね。でも、『万葉集』を少しかじっているような人たちを前にした講演だと「折口信夫先生が言ってるように、古代には古代の論理というものがあって、それを理解しない限り読めないんじゃないでしょうか」と。私はそうやって使い分けますけど。実際は両方の側面があると思います。
古市 現代人と違うメンタリティはどういう点ですか。
上野 たくさんの女性を愛し、たくさんの女性と交際をするということは、古代社会においてはステータスなので、非常に重要なことですよね。中央から派遣された役人が離任して都に帰っていくときに、遊女が来るんですよ。遊女がたくさん来た方が名誉なんです。遊女のような人たちにまで気を配っていた役人として高い評価になるんです。だから遊女の歌が宴席で歌われ、そういう歌が『万葉集』に収載されているんですね。本人にとっては名誉です。こういう人たちにまで愛されていたということだから。
 あと人間と物との壁が低いというのもありますね。
古市 人間と物の壁が低い?
上野 ええ。我々はよく物を人間のように表現すると、擬人法だって言うじゃないですか。でも古代の人にとっては、擬人法でも何でもなく、「船が港に来ないから港が寂しがっているだろう」なんていうのは当たり前の表現です。

上野 誠

男女で掛け合う恋愛文学が

これだけ残っている国は

世界的にない。

古市 日本は多神教ってよく言われますけど、あらゆるものが生きているという考えの延長に、多神教の世界があったと考えていいんですかね。
上野 キリスト教も多神教的側面はありますよね。マリアがいて、ヨセフがいて、それぞれの都市に守護神がいますから。でも、キリスト教では新しい神様は増えないじゃないですか。ところが日本の多神教っていうのは、とめどなく増えちゃうんです。
古市 何でも神になってしまうんですか。
上野 なりえますよね。そういう万葉歌だと、山に挨拶をしたいとか、港が船を待ってかわいそうだという言い方がしっくりくるわけです。宗教史では、平安時代になると「山川草木悉皆成仏」と言うようになる。山も川も草木もすべてのものが成仏できるんだと。伝統的な漢訳仏典では、そんなことはありえないんですね。犬に仏性があるのかどうかで論争になるわけだから。
古市 仏教の受容でも、アニミズム的な感覚がまじっているんですね。 他宗教の聖典や古典文学と比べて、『万葉集』にはどういう特徴がありますか。
上野 男女が共に歌を書き合うかたちがあり、なおかつ女性の歌がこれだけ残っている歌集は世界的に見てもありません。「日本は世界に先駆けて」というのはあまりにも安易な言説だから言わないけれども、男女で掛け合うような恋愛文学がこれだけ残っている国は世界的にないんですね。そういう意味では、人類の原始的な姿を残している歌集と言えるかもしれません。
古市 世界の他の地域は、文化によって淘汰されてしまったんでしょうか。
上野 というよりも、日本は文字学習の期間が短いんですよね。中国は文字学習が数千年あっての古典じゃないですか。日本って基本的に、ずっと無文字社会でやってきて、3世紀ごろからようやく文字学習が始まって、8世紀の頭に『古事記』『日本書紀』ですよ。文字学習の蓄積が小さいので、プリミティブなものが残っているんだと思います。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

上野 誠 うえのまこと 國學院大學文学部教授(日本文学科、特別専任)。奈良大学名誉教授。博士(文学)。1960年生まれ、福岡県出身。万葉文化論を標榜し、ユニークな視点で『万葉集』の新しい読み方を提案。著書に『古代日本の文芸空間』『魂の古代学――問いつづける折口信夫』『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』『折口信夫的思考-越境する民俗学者-』『万葉文化論』など。

構成/斎藤哲也