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古市憲寿×梅田百合香

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第12回目はトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』について、政治学者で桃山学院大学教授の梅田百合香さんにお聞きしました。

どのように平和と秩序を

形成し、維持していくか。

古市 さっそくですが、『リヴァイアサン』は一言でいうと、どういう内容の本なんですか?
梅田 一言でいえば、内戦や対外戦争などの非常事態が起こり、国家が機能不全を起こしたときに、どのように平和と秩序を形成して維持していくかということを説明した本です。ただ、当時の内戦や対外戦争は、政治権力と教会権力の対立が大きな原因の一つでしたので、『リヴァイアサン』はその対立を解決することを課題としていました。
古市 当時のイングランドで起こっていたという政治権力と教会権力の対立、具体的には何があったんですか。
梅田 17世紀前半のチャールズ1世の時代ですが、国王の教会統治のやり方を巡って国王と議会が対立するんです。これが内乱に発展し、国王軍は負けてしまう。議会軍のピューリタンのリーダーたちは、神の王国の到来は近い、暴君を征伐せよとキリスト教徒の庶民の兵士たちを扇動し、宗教的熱狂により内乱を正当化しました。結果としてチャールズ1世は処刑されてしまいます。ホッブズが『リヴァイアサン』を英語で出版したのは、この処刑が直接的なきっかけになったんだと思います。 つまり、神は教会権力が政治権力に服従することを求めていることを説得しようとした。前半では、政治権力への服従義務を哲学的にまず説き、後半でそのことは聖書からも正当化されるという構成になっています。
古市 ホッブズというと、教科書的には「『万人の万人に対する闘争』を回避するために、みんなで社会契約をし、リヴァイアサンとしての国家が設立される」とよく説明されますよね。こういう説明は正しいんですか。
梅田 そこは日本で部分的にまちがった解釈が流布しているところです。ホッブズの社会契約論で、なぜ人々が社会契約を守らなきゃいけないのかというと、単に合理的だからではなくて神様が存在するからなんですね。
 群衆同士で契約を結び、たとえばこの人を主権者にすると自分たちで決めて、これからはその人の命令を法として従い、平和を作りましょう――というのが、社会契約です。でも、なぜその社会契約を守り続けなきゃいけないかというと、それは神に対する義務があるからです。これを自然法といいます。
古市 社会契約をして人工的な国家が設立されるという言い方だと、説明不足になるわけですか。
梅田 そうですね。主権者からすると、政治権力の最も重要な職務は、国民の安全の確保です。主権者はこれを自然法として守る義務を負っています。

自然法のもとで保護と服従は

セットになっている。

梅田 逆に国民は、そういう保護を主権者が与えているのだから、多少気に入らないところがあっても主権者に従わなければならない。これも自然法なんですね。このように、自然法のもとで保護と服従がセットになっていることが重要です。
古市 自然法と似た言葉に「自然権」がありますが、この二つはどう違うんですか。
梅田 ホッブズの定義だと、自然権は、国家の存在しない自然状態にあるときに、自分の命を守るためだったら何をしてもいい自由のことです。自然法は逆に「平和を求めて努力せよ」という命令です。自然状態で、みんなが自分の命を守るために何をしてもいいという自由を行使すると、必然的に戦争状態に陥り、結局ますます自分の命が危うくなってくるわけですよね。そのときに、では「戦うのはやめて、平和を求めたほうがいい」と理解する。これをホッブズは「理性の指示」と呼んでいますが、理性の指示自体は自然法ではないんですね。 じゃあ、どうなったら自然法になるかというと、理性の指示と意志とが一致したときです。つまり、合理的な計算だけでなく、感情的にも「もう戦うのをやめて、平和に向かおう」と思ったときに、はじめて理性の指示は自然法となるんですね。
古市 タイトルの「リヴァイアサン」は、聖書に出てくる怪獣ですよね。どうしてホッブズは、社会契約でつくられる国家をリヴァイアサンに喩えたんですか。
梅田 旧約聖書の『ヨブ記』に出てくる怪獣の名前で、人間の力では倒せない生き物なんですね。だけど、神様は倒せる。そういう意味では、永遠ではないんです。だから、別名「可死の神」とも呼ばれていて、神に近いぐらい強いけれど、永遠の命はないわけです。

古市憲寿

国家を旧約聖書の

怪物に喩えた理由。

梅田 国家も同様に、一般的には強いし、個人の力で倒せるものではないけれど、人間が作るものだから倒れるときはありますよね。そういう類似性から、国家をリヴァイアサンに喩えたんだと思います。
古市 『リヴァイアサン』は、一般の庶民も読んでいたんですか?
梅田 ある程度、教養がある層には大変需要がありました。ただ、『リヴァイアサン』は国王側の聖職者から強い反発があったので、王政復古の後には、『リヴァイアサン』の刊行や英語で政治的な本を書くことを禁止されてしまうんです。それでも海賊版が出るぐらいですから、読みたい人はいっぱいいたんですね。ホッブズも1668年に、ラテン語に訳し直してオランダで出版しています。
古市 当時の国家形成に直接、影響があったんでしょうか。
梅田 思想的には影響はあったと思うんですけど、イングランドの国家形成に直接影響を与えたかっていうと、たぶんないでしょうね。私は『リヴァイアサン』ってサンドバッグのような役割だと思うんです。

梅田百合香

ホッブズが今の時代に

伝えること。

梅田 主権とは何か、国家とは何かということが問われるときに、政治家や知識人たちの前にいつもホッブズが「俺の論理を乗り越えてみろよ」と現われてくる感じですかね。みんな「あいつの言うことだけは聞きたくない」と思っているんですけど、議論をする上では『リヴァイアサン』が必ず立ちはだかってくる。
古市 実際のホッブズはどんな人間だったと思いますか?
梅田 けっこうユーモアがあって面白いことを言うんですよ。王政復古後、英語の著書の出版は禁じられましたけど、チャールズ2世には愛顧され、宮廷への出入りがいつでも許されるようになりました。チャールズ2世は自分の肖像画を画家に描かせるんですが、退屈しのぎの会話相手としてホッブズを呼ぶんですね。ホッブズは教養があるし、彼の愉快な話しぶりが国王を楽しませるんです。
古市 今の時代に『リヴァイアサン』を読む意味って何でしょう。
梅田 「政治家にも国民にも政治の役割を理解することを促す」ということがあると思うんですね。政治の重要な役割は、国民の安全を保障することです。今のコロナ禍のなかで、外出禁止令が出ている国のなかには、国民の不平不満がたまって、暴動とか起きているようなところもありますよね。同じようなことはホッブズの時代でもありました。 ホッブズに言わせると、政治は、現在進行形で起こっていることに対処しなければならないのと同時に、長期的な視点に立って、公衆の教育をして、未来に効果のある政策や制度をつくらなければならない、と。一方、国民側も、その場で暴動を起こすのではなく、長期的に政策や制度を見ることが大事なんだと論じています。
古市 現代の人たちが聞いても違和感は全然ないですね。
梅田 政治と宗教の関係をどう考えたらいいのかという点でも、『リヴァイアサン』は示唆に富みます。宗教が秩序を脅かすようなときは、政治が宗教をコントロールしないと、大変なことになる。でも、政治の側も往々にして宗教を利用して支持を調達し、国民統合を維持していることもまた確かです。ホッブズは信仰を否定しません。それは、幸福な生活を支える大事な要素だし、政治を下支えするものでもある。だけど、宗教が暴走したら困る。『リヴァイアサン』は、政治が宗教をコントロールしながら、平和と秩序を維持する術を政治家と国民に教えているんです。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』など。また、小説家としても活動しており、近著に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』など。

梅田百合香 うめだゆりか 政治学者、桃山学院大学教授。1968年生まれ。専攻は政治思想史・社会思想史。著書に『ホッブズ 政治と宗教―『リヴァイアサン』再考』『甦るリヴァイアサン』、訳書にマーク・フィルプ『トマス・ペイン 国際派革命知識人の生涯』(田中浩共訳)がある。