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古市憲寿×佐々木 匠

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第8回目はアルベール・カミュの『ペスト』について、早稲田大学講師でフランス文学が専門の佐々木匠さんにお聞きしました。

古市憲寿

撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也

ペスト禍の絶望的な状況で、

さまざまな人間模様が描かれていく。

古市 コロナウイルスの問題が起きてから、カミュの『ペスト』が売れているようですね。早速ですが、『ペスト』って一言でいうとどういう物語なんですか?
佐々木 舞台は1940年代のアルジェリア、オランという街です。カミュは、フランスの植民地だったアルジェリア生まれのフランス人でした。それでアルジェリアを舞台にしたんでしょうね。
 小説の冒頭では、鼠が大量に死んでいく様子が描かれます。それを見て人々が不安を覚え、程なくして人間の死者も少しずつ増えていく。それでペストだとわかるわけです。オラン市は感染拡大を防ぐために、街を封鎖します。たまたま外からやって来ていた人も外には出られない。完全な隔離状態です。そういうペスト禍の絶望的な状況で、さまざまな人間模様が描かれていくという作品です。
古市 小説としては読みやすい?
佐々木 物語が淡々と進んでいくので、一気に読むのはしんどいと思います。しかも、けっこう長いし、登場人物も多い。ペストで街が閉鎖されてから解放されるまでの1年間を描いていくわけですけど、複数の登場人物の人生が回想も含めていろいろ織り交ぜられて進んでいきます。そこもとっつきにくいところかもしれません。
古市 登場人物のなかには死んでしまう人もいますか?
佐々木 死んでいきます。この小説は、語り手が誰だか明かされずに物語が進んでいくんです。ようやく最後になって、登場人物のうちの一人が語り手であることがわかる。その人は、友人をペストで亡くしてしまいます。さらに、別の病気の療養のために街の外にいた奥さんが亡くなったという知らせも最後に飛び込んでくる。最終的にペストは終息に向かうものの、はたして勝利の物語かどうかはわからないという終わり方なんですね。
古市 今の日本の雰囲気を見ても、いつこの騒動が終わるのかという不安に包まれているところがあります。小説ではどのように人々の不安が描かれていくんですか。
佐々木 最初のうちは、何月何日という日付とともに、死者の数など細かく語られていきます。でも、これはわざとだと思うんですが、だんだん語られなくなっていくんですね。みんな疲れてくるんですよ。死者数も「週に何人」が「1日に何人」と変わり、そのうち「大量の」となる。全然数えなくなっちゃうんです。
古市 人々が疲れていく様子も現実と似ていますね。
佐々木 経済が悪化して、貧しい人が苦しくなっていくのも同じです。それから亡くなった人は土に埋めるんですが、土地がだんだん少なくなっていき、最後は火葬になるんです。こういった描写も妙に現実感があります。

「自分たちはどうするか」という

問題意識を持つようになっていく。

古市 どんなふうに読むと物語に入りやすいんでしょうか。
佐々木 少しずつ読むのがいいかな(笑)。あとは、それぞれの人物の変化に気を遣うと面白いかもしれません。物語の進行とともに、変わっていく人と変わらない人がいるんですね。最初のほうはみな自分のことばかり考えているけど、だんだんと「自分たちはどうするか」という問題意識を持つようになっていく人がいます。
古市 自主的に協力しあうような行動が出てくるわけですか。
佐々木 出てきます。たとえば保健隊というボランティアの組織が作られて、けっこうな人数が集まります。登場人物のひとりである新聞記者は、恋人をパリに残してオランに取材に来ていた。だから当初は、非合法な手段を使ってでも街を脱出しようとするんです。でも、街の人たちと一緒に暮らしていくなかで考えを変えて、保健隊に参加するようになる。そういう形で、ペスト禍を自分たちの問題として考えるようになっていくんです。
古市 いわゆるハリウッド映画のように、一人のヒーローが世界を救うような話ではないんですね。
佐々木 そうなんです。カミュは、この物語に「ヒロイズム」というものは存在しないんだということを強調しています。人々がそれぞれ、自分のなすべきことをやった。そういう物語なんだと。
古市 『ペスト』は実際の出来事を元にしているんですか?
佐々木 もともとカミュが『ペスト』の着想を得たのは、第二次世界大戦です。戦争でフランスはドイツに占領されてしまった。このとき、カミュはレジスタンス運動に参加する。そこで経験したさまざまな人間模様、あるいはナチスドイツとの戦いの寓話として『ペスト』を書いたんです。

古市憲寿

人間が危機的な状況に陥ったときにどうするか、

という普遍的な問題を書こうとした。

古市 カミュが疫病の物語として戦争を描いたことには、どんな意図があったんですかね。
佐々木 やっぱり、普遍的なものとして読んでもらいたいというのは大きかったと思いますね。東日本大震災のときも、『ペスト』が取り上げられました。つまり、人間が危機的な状況に陥ったときにどうするか、という普遍的な問題を書こうとしたんでしょう。
古市 現在の日本や世界の様子と重ねたときに、人間の心理や行動として共通する部分を感じますか。
佐々木 それはあります。まず、現在も小説と同じように、国や地域単位で外部を遮断していますから、なにかの事情で離ればなれになる人たちがいる。そのときの別離の感情は今も変わらないように感じます。
 それから占領下のフランスの寓話なので、占領を喜ぶ人がいるように、ペストが流行って喜ぶ人も出てくるわけです。カミュは、そういった人物を、ナチスドイツに協力した対独協力者の比喩として描いたらしいんです。あるいは、小説では宗教と病の関係性も描かれます。これは日本ではあまりないことかもしれませんが、海外ではあると思うんですよね。
古市 小説のなかでは、宗教はどう扱われているんですか。
佐々木 重要な登場人物として、カトリックの神父が出てきます。この神父は、すべては神の思し召しだと考え、医者の診察を拒絶して、ペストによる死をそのまま受け入れることを説くわけです。でもカミュにとっては、死に抗うということは大きなテーマでした。だから来世で救済されるというカトリック的な信仰とは相容れないんですね。彼は来世に飛ぶのではなく、いまこの世の中で踏ん張ることを考えようとした。

佐々木 匠

「孤独」と「連帯」は、必ずしも

対立関係にあるわけではない。

古市憲寿×佐々木 匠

古市 佐々木さんは、カミュのどういうところに惹かれているんですか。
佐々木 なんというか、カミュの小説にはどこかに閉じ込められているというイメージがたくさん出てくるんです。『ペスト』も街に閉じ込められる。『異邦人』の主人公ムルソーも、結局死刑囚として牢屋に閉じ込められる。そういう感覚がどこか自分のなかにあるような気がして。
古市 閉じ込められるような感覚に襲われた場合、どうしたらいいんでしょうね。
佐々木 私がカミュの作品から考えたことをいうと、フランス語で「連帯する」は「solidaire(ソリデール)」といい、このソリデールの一文字を変えると「孤独な」を意味する「solitaire(ソリテール)」になります。カミュの作品には孤独な人物がたくさん出てくるのに、一方では連帯ということがよく言われている。これまで、「孤独」と「連帯」は、ずっと対極にあるもののように考えられてきたけれど、カミュにとっては、二つは必ずしも対立関係にあるのではなくて、孤独な人間同士の中にも、なにかしらのつながりを見いだすことが「連帯」なんじゃないかと考えたんです。
古市 孤独であることと、連帯することは決して矛盾するものではないと。
佐々木 そうなんです。対立じゃなくて、「孤独の最中に」あるいは「孤独と隣接するもの」として連帯がある。そういった孤独と連帯の関係が、カミュの作品からは聞こえてくるんです。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『平成くん、さようなら』『誰の味方でもありません』『百の夜は跳ねて』『奈落』など。

佐々木 匠 ささきたくみ 早稲田大学文学学術院フランス語フランス文学コース講師。1983年生まれ、北海道出身。専門分野は20世紀フランス文学。主な論文に「監獄と芸術と不条理─アルベール・カミュにおける語りの場─」「不条理から反抗へ─アルベール・カミュ作品における ≪ nous ≫ の出現─」など。

撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也