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古市憲寿×大塚ひかり

古市憲寿

古市憲寿

名著とされているが、分厚くて手が出せなかった本、手を出してはみたけど停滞してしまった本。そんな“挫折”してしまった数々の名著を、社会学者の古市憲寿氏がホストとなり、信頼できる名著の第一人者を迎えて解説してもらうというこの連載。第6回目は紫式部の『源氏物語』について、古典エッセイストの大塚ひかりさんにお聞きしました。

古市憲寿

撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也

現代人が読んでも

リアリティがある。

古市 『源氏物語』は長すぎて、現代語訳を読み始めてもいつも途中で挫折してしまうんです。初めから順番に読んだ方がいいんでしょうか。
大塚 いえ、『源氏物語』は54帖のオムニバス的なところがあるので好きなところから読んでいいんですよ。
古市 ここから読むと入りやすい、というオススメはありますか。
大塚 光源氏亡き後を描いた「宇治十帖」かな。紫式部は「宇治十帖」を現代小説として書いています。『源氏物語』は76年以上にわたる時代大河小説なんですね。物語の始まりは紫式部が生きた時代よりも7、80年以上前という設定です。そうすると最後の方は、紫式部にとっての現代になっている。もう一つは、現代人が読んでもリアリティがあるという意味で、現代小説といえると思います。
古市 「宇治十帖」には光源氏のような主役はいないんですか。
大塚 薫、匂宮、浮舟という3人が主要人物ですが、光源氏のようなきらめきは全然ないんです。光源氏だと、好きな女がいたら、自分の父親の妻だろうが寝取ってしまう。でも「宇治十帖」に出てくる薫という男は、好きな女とはセックスできない。一緒に寝ても、添い寝しかできないような男なんです。
古市 今っぽいですね(笑)。
大塚 そこだけ見ると草食系なんですが、セックスできないのかというとそうじゃないんです。自分が見下している女とはできる。その女が浮舟です。浮舟は、母親が女房(女性使用人)なので、身分が低いんですね。しかも地方育ちだから小馬鹿にされている。物語では、最下層のヒロインです。でも気品はあるし美しい。
 薫はその浮舟を犯してしまって、好きな女の形代、つまり身代わりとして愛人にしてしまうんです。
古市 今でもそういう男はいそうですね。
大塚 しかも、人に寝取られると急に惜しくなるんですよ。だから自分の価値観が信じられない男なんですね。他の人がよいと認めたら「あ、よかったんだ」と。
古市 自分に軸がない人なんですね。
大塚 薫にかぎらず、「宇治十帖」にはそういうダメな人たちばかりが登場します。本当にダメ人間たちが、どうすれば生きる道を見出していくか、というお話ですけど、結局、たいした正解もなく終わる。男と女は分かり合えず、親と子も分かり合えずに終わっていきます。
古市 いわゆるハッピーエンドではない。なぜ紫式部はハッピーエンドじゃない終わり方にしたんですか。
大塚 やっぱり、そっちの方がリアルだからですかね。
古市 光源氏が登場するパートはどうなんですか。

不幸を描くほうが

生き生きしている。

大塚 『源氏物語』は三部に分かれていて、光源氏が登場する第一部、第二部を「正篇」と呼ぶんですね。第一部は、いちおうハッピーエンドです。光源氏の子供たちが恵まれた結婚をし、本人も出世してめでたしめでたしです。ところが第二部の「若菜」の巻に入ると、光源氏が一気に不幸になっていくんですよ。ただ面白いのは、そちらのほうが明らかに筆が走っている感じがする。
古市 不幸を描くほうが生き生きしている(笑)。
大塚 紫式部本人もそうなんです。『紫式部日記』を読むと、何を見ても不幸な自分につながっていくんですね。水鳥が泳いでいるのを見ても、「水の上では楽しそうだけど実は苦しいんだろう、私と同じで」のように、不幸な自分に引きつける。
古市 それほどネガティブで暗い人が、千年以上も読み継がれる大河小説を書いたことが興味深いです。 第一部では、光源氏はいろんな女性と寝まくるんですよね。そのなかに、大塚さんが好きな女性はいますか。
大塚 私は、源典侍(げんのないしのすけ)というスケベ婆さんが好きですね(笑)。『源氏物語』ってみんなだいたい男から迫っていくんですが、源典侍は唯一、自分からいくんです。きっかけは源氏が少しカマをかけるんですけど。
古市 作品では何歳ぐらいの設定なんですか。
大塚 57、8です。それで19、20歳の源氏や頭中将とやっちゃうんですね。

古市憲寿

紫式部による

革命的な文学実験。

古市 当時としても、「それはちょっとないだろう」という感覚なんでしょうか。
大塚 ないでしょうね。美貌至上主義でしたから。
古市 『源氏物語』に登場する女性は、美人ばかりでもないんですね。
大塚 そこはポイントで、私は『源氏物語』の「ブス革命」と呼んでいます。末摘花(すえつむはな)、空蝉(うつせみ)、花散里(はなちるさと)と、3人も不細工な女が出てくるんです。しかも3人ともイケメン主人公の光源氏と関係している。『源氏物語』以前にそんな物語はないんですよ。ここには紫式部のマイナス思考やリアリストぶりが表れています。
 当時は、家や土地は母から娘へ相続されるし、結婚も男が妻の家に通うのが基本なので、女性の経済力が重視されていました。だから金目当ての男がブスと結婚して捨てるという話はあったんだけど『源氏物語』の場合、末摘花は貧乏なブスです。でも光源氏は捨てないで妻の1人にする。花散里も落ちぶれたブス、空蝉は人妻ブスだけど、彼女たちを迎えてやるわけですよ。ブスを主要人物として取り入れただけでもすごいのに、彼女たち全員に何か救いみたいなものを与えている。当時としては革命的な文学実験です。

大塚ひかり

かけがえのない

人間なんていない。

古市憲寿×大塚ひかり

古市 光源氏はどういうところに惹かれて、そういった女性たちと関係を持つんですか?
大塚 末摘花に対しては、はっきりと哀れみですよね。自分以外の誰がこの人に我慢できようか、と考えてるんですね(笑)。そのあたりが理想の男とされるゆえんです。花散里は家庭的というか、ものすごい聡明なんですね。空蝉はセンスがいいんですよ。空蝉と、空蝉の義理の娘が一緒にいるところを覗き見するシーンがあって、顔は義理の娘の方が美人なんです。でも空蝉はすごいセンスがよくて、パッと見、空蝉の方がよいと思っているんですね。
 『源氏物語』って愛される女がみんな身代わりとして連れて来られるんです。光源氏のお父さんである帝は桐壺更衣が死んで、それにそっくりだという藤壺を入内させる。今度、光源氏は藤壺に憧れて、藤壺にそっくりだからっていうことで紫の上を愛するんです。『宇治十帖』でも、さきほどいったように薫は、添い寝しかできない大君(おおいぎみ)の身代わりとして浮舟を愛人にする。
古市 中心的なヒロインは、みんな誰かの身代わりとして愛されるんですね。
大塚 そうなんです。なぜ『源氏物語』に多くの身代わりが出てくるのかと考えると、紫式部は、かけがえのない人間なんていないということを言っているように思えてきます。
古市 誰だって代わりはいると。
大塚 夫婦も親子もかけがえのない者なんていなくて、離れたって生きていける。だったら、あまり人の期待とか思惑とか気にしないでいいんじゃないの、ということを言いたいように私には読めるんです。
古市 面白い。普通は、かけがえのない人との出会いを信じたくなってしまうけど、逆にそうじゃないと。それはそれで救いになりますよね。
大塚 なりますよね。あなたの代わりは必ずいる。そういう本当のことを言ってくれたからこそ、大傑作として生き延びてきたんじゃないでしょうか。

古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『平成くん、さようなら』『誰の味方でもありません』『百の夜は跳ねて』など。昨年末に3冊目の小説作品『奈落』を刊行。

大塚ひかり おおつかひかり 古典エッセイスト。1961年生まれ、神奈川県出身。著書に『全訳 源氏物語(全6巻)』『ブス論』『源氏の男はみんなサイテー』『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』『源氏物語の教え』など。最新刊に『女系図でみる日本争乱史』『エロスでよみとく万葉集 えろまん』がある。

撮影/伊東隆輔
構成/斎藤哲也