古市 実は今回が連載の最終回です。これまで第一線の方々に名著についての話を聞くという対談を続けてきたんですが、最後はせっかくなので、天才・宮﨑駿さんについてお聞きしたいと思っています。
歴史に残る名著や古典を作る人って、ある種「天才」と呼んでもいいと思うんですけど、そういう人たちが世界を見る視点はどれも大変ユニークでした。その延長線での質問ですが、駿さんには世界がどんなふうに見えているんでしょうか。
鈴木 古市さんはどう思われますか。
古市 駿さんの作品には、リアルなんだけどどこかリアルじゃない部分にすごさを感じます。たとえば食べ物の描写ひとつを取っても、おいしそうに見えるけれど、実際には存在しない感じがします。
鈴木 理屈じゃなくて本能でやってますよね。宮﨑さんは男4人兄弟の2番目なんですけど、一番末っ子の弟さんが絵が上手でね。その弟さんに勝てないのが悔しくて、高校生の時に「なんとかして弟よりうまくなりたい」と思い、先生を選んで、4年間しっかりデッサンの勉強をした。それが彼の基礎なんですが、それだけではなく、見たものを自分で工夫して新しい表現に作り変えることができるんですね。
古市 駿さんはありのままを写実的に描くこともめちゃくちゃうまいんですね。
鈴木 そうです。それから、自分がいいなと思った絵をそっくりそのまま描くことも、本当にうまい。模写は天才だって気がします。
古市 でも、写実的なものを描ける一方で、デフォルメやキャラクターも上手ですよね。そういう技術は、どうやって身につけたんでしょうか。
鈴木 難しい質問ですね。意外とその質問って、これまで誰もしなかったかもしれません。彼の大きな特徴は……、例えばトトロ、触ったらあったかそうに見えるじゃないですか。それが見るだけで伝わるんです。何の説明もなく。それってすごいことですよね。
古市 どうやってトトロは誕生したんですか。
鈴木 あまり詳しく言うと怒られちゃうんですが(笑)、東洋の人たちが考えた古い不思議な生き物が、どこか根底にあるんじゃないかと思います。
古市 駿さんはそういう古い作品や、他の人の映画とかをよく観たりするんですか。
鈴木 あまり観ないんですが、ある時期に集中して観ることがあります。たとえば、宮沢賢治の作品は奥さんが好きで、そうすると一気に観たり読んだりします。
鈴木 彼のすごいところは、風景や物、人などを全部スキャンするように記憶してしまうんです。それがさっき話したデッサンとも関係していると思います。しかも、そのスキャンした記憶を忘れない。それに少し手を加えるだけでオリジナルの作品になるんです。
古市 じゃあ、頭の中には膨大な記憶のストックがあるんですね。
鈴木 そうです。彼の映像的な記憶力は尋常じゃないですよ。何でも絵で見ようとしますから。文章や理屈ではなく、すべてビジュアルで捉えるんです。
古市 それだけの人が物語も考えるわけじゃないですか。
鈴木 そうですね。ただ、彼の作る物語って実は普通なんですよ。
古市 いやいや(笑)。鈴木さんから見て、宮﨑駿作品の吸引力はやはり絵にあるということですか。
鈴木 絵もありますが、常人には理解しがたい想像力があるんです。彼は全然だらしなくないんですよ。朝早く起きるし、規則正しい生活を繰り返している。食べるものも毎日同じなんです。
古市 食べ物にはあまり興味がないんですか。
鈴木 「おいしいから食べる」という考えがなくて、「生きるために食べる」というスタンスなんです。たとえば、ジブリのスタジオがある小金井の周辺で、おいしい店が新しくできたとか、スタッフが話題にしますが、彼はそういうことには厳しいんですよ。「ものを作る人間が、どこの店がおいしいとか、まずいとか言うな」と。
古市 クリエイティブだからこだわる気もしますが。
古市憲寿 ふるいちのりとし 社会学者。1985年生まれ、東京都出身。若い世代を代表する論客として多くのメディアで活躍。情報番組のコメンテーターも務める。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』『誰の味方でもありません』『絶対に挫折しない日本史』『楽観論』『10分で名著』『正義の味方が苦手です』『謎とき 世界の宗教・神話』など。新刊の『昭和100年』が12月19日に発売。また、小説家としても活動しており、著作に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。
鈴木 とはいえ、そういう話を聞くと、やっぱり食べたくなるじゃないですか。その誘惑を我慢するんです。その我慢が作品に反映されるんですよ。食べ物に限らず、すべてが憧れや妄想に変わっていくんですね。「空が飛べたら」とか「これを食べたらおいしいだろうな」とか、そういう想像が作品に反映される。デッサンの技術に加えて、その想像力があるからこそ、ああいう作品が生まれるんです。
古市 宮﨑駿さんにとっては自分の頭の中が一番楽しいんですかね。現実よりも、自分の想像のほうが。
鈴木 たぶんそうでしょうね。以前、外国に招待されたときに、宮﨑さんと私が複葉機に乗せてもらえる機会がありました。「さあ乗ってください」と言われても、宮﨑は「なんでこんなものに乗らなきゃいけないの?」と言うんです。わかります?彼にとっては、頭の中で想像して飛ぶ空のほうが楽しいんですよ。だから、実際に本物の飛行機に乗ったって面白くない。
古市 そうか、現実に触れると「こんなものか」と思っちゃうんですね。
鈴木 そうです。現実のつまらなさをよく知っているんです。要するに、この世で満たせないものを頭の中の妄想で補っていく。それが彼の想像力の源泉なんじゃないかと思いますね。
古市 そんな駿さんが興奮するのはどんな時ですか。
鈴木 表現がうまくいった時ですね。例えば『風立ちぬ』の中で、ドアの開け閉めが絶妙だったんです。僕がラッシュを観たときに「ドアの開け閉め、すごくよかったですね」と声をかけたら、宮﨑が「わかった?」とすごく嬉しそうに言うんですよ。そういうのが楽しみなんです。
鈴木敏夫 すずきとしお 映画プロデューサー。1948年生まれ、愛知県名古屋市出身。慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。「アニメージュ」の編集長を務めるかたわら、『風の谷のナウシカ』『火垂るの墓』『となりのトトロ』などの高畑勲・宮﨑駿作品の製作に関わる。1985年にスタジオジブリの設立に参加し、1989年から専従となる。以後ほぼすべての劇場作品をプロデュース。現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサーを務める。2023年はプロデューサーを務めたスタジオジブリ最新作『君たちはどう生きるか』が公開された。
古市 駿さんは、喜怒哀楽の中で、どの感情を作品を作るモチベーションにしているんでしょうか。世の中に対する怒りなのか、悲しみなのか。
鈴木 悲しみが強いんじゃないかな。「どうして人間はこうなっちゃったんだろう」って。自分が生まれた時代のことも冷静に考えて作っているし。
古市 でも一方で、飛行機や兵器のようなメカニカルなものに対する憧れも強いですよね。そこはアンビバレントな感じがします。
鈴木 そう、それがまた難しいんです。細かいことを言うと、僕も嫌になっちゃうんですけど、「第一次世界大戦で作られた機械には夢があった」と彼は言うんですよ。僕は「何言ってるんだ」と思いましたけど、そういう理屈なんです。時々わけの分からないことを言うんですよ。ゼロ戦のデザインについても、「俺が作るならもっと美しいものにしていた」って。
古市 へえ、そんなことまで考えていたんですね。すごいこだわりですね。
古市 『風立ちぬ』を作ったとき、周りも宮﨑さんも「これが最後だ」って思っていたんですか。
鈴木 本当に思っていましたよ。「もう俺は無理だ、鈴木さん」ってわざわざ謝りに来たくらいです。一緒にやってきたのに申し訳ないって。
古市 でもその後、また作り始めた。作家としてずっと新作を作り続けられる秘訣って何なんでしょう。何十年間もずっと描き続けられる原動力というか。
鈴木 何でしょうね。僕も知りたいくらいです。
古市 『風立ちぬ』では、「作家としての輝いた時期は短い」というメッセージも込められてましたよね。ご本人はどう感じているんでしょうか。
鈴木 「ああは言ったけど、実際は裏切りたい」というのが彼の心情なんでしょうね。それはわかります。天の邪鬼だから。