FILT

杉野剛

杉野剛

杉野剛

撮影/野呂美帆
取材・文/中村千晶

キャスティングディレクター・杉野剛が、

さまざまな映画監督を「解剖」する連載の第8回。

 今回のゲストは今年の11月に最新監督作『影踏み』の公開が控える篠原哲雄監督。
杉野 篠原監督は明治大学を出られて、プロの監督たちの助監督をしながら、同時に自主映画を撮ってデビューされましたよね。最初に映画を撮ろうと思ったのは、いつなんでしょうか?
篠原 高校2年のときに『タクシードライバー』を観たのがきっかけです。それがきっかけ。それまでは音楽をちょっとかじった程度。
杉野 バンドをやっていたんですか。
篠原 でも文化祭にも出れないほどのレベルですよ(笑)。だから、映画はそんなに意識的には観てこなかったんですよね。でもあのとき初めて映画が心に沁みるというか、グッと感動した。学校もね、男子校だったし、毎朝国旗掲揚とかするし、抑圧的な雰囲気があったんです。そこで悶々としていた10代後半の思春期の思いが、あの映画のスカーッ! っとする正義のような部分に惹かれたんだと思う。「映画でなにか世の中を変えることができるかもしれない」と漠然と思ったんです。

篠原哲雄

映画監督の生き方

というものは、

作品に現れてくるんだな。

篠原 でも、まだ映画をやるまでに至ってない。普通に受験勉強して、法学部に進みました。ただ、僕は後に森田芳光監督の弟子というか、助監督になるんですが、森田さんの『家族ゲーム』『の・ようなもの』などは、ある種、社会のはぐれ者を描いているなと思ったんです。で、監督自身も世の中のルールと一線を画していると感じた。ああ、映画監督の生き方というものは、作品に現れてくるんだなと。で、映画監督に憧れを見出したんです。
杉野 そのあたりから「監督」が見えてきたんですね。
篠原 大学在学中に新藤兼人さんのシナリオ講座に半年間ほど通ったんです。そこの同級生にプロの助監督がいて、彼について映画の現場を経験することになりました。現場で感じたのは、映画は皆で一緒に作っていくものだ、ということ。監督だけが何か突出しているわけじゃなくて、各パートが一つの作品に向かって、皆で一段一段石を積み上げていく感じで映画は出来ていくんだなとわかって、これは向いているかもしれないと思ったんですね。  僕ね、大学時代は毎年、夏休みに清里の観光牧場でアルバイトしてたんですよ。馬や牛を飼育したり、バーベキューの準備をしたり、みんなと屋外で何かをやっていく。これが僕にすごく向いていたし、これと映画を作ることが似ていたんですよ。
杉野 ああ、なんとなくわかる気がします。
篠原 「自分は映画に向いてる」と思えた。そして、大学生の最後の頃に8ミリ映画を撮るんです。完成度は全然低いんですが、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)に出したら審査員の先生たちから「未完成だけど、発想だけは面白そうだよね」って言われた。これは非常に励みになりましたねえ。  実際に映画を作ってみて自分の脚本を書く能力のなさにも気づいていたんですが、それでもまず「映像は絵と音。映ってるものこそが全て」と思って、街を歩きながら映像を撮るようになったんです。’85~’86年の東京って、どんどん新しいものに変わってた時代で、街を歩けば廃墟があって、入っていくと残骸が落ちていたりとかで面白いんですよ。それをいかに「触感的」に映像に残すかをやっていた。
杉野 それで森田監督の助監督をやりながら、同時に自主映画を作り出したんですね。

杉野 剛

僕はそのつど

現場で映画を学んで

きたんだと思います。

篠原 そうです。そのうちに森田さんに刺激を受け、自分が実験的に撮っていた街歩きの映像に物語をのせると「生きたものになるんだ」と気づいた。それで「自転車泥棒が警官に追いかけられ、ひたすら自転車をこいで逃げる」というシンプルなストーリーを作ってPFFに応募して、小さな賞をいただいたんです。さらに最初の16ミリ作品『草の上の仕事』で海外の映画祭に呼んでいただいて。そうすると、助監督としての依頼がなくなっていくんですね。「お前も、もう監督か~」みたいな。
杉野 みんな依頼するのを遠慮しちゃうんですね(笑)。  そして’96年に初の劇場用長編『月とキャベツ』を撮られた。いまでもファンが多い作品ですよね。
篠原 あれは主演の山崎まさよしくんのおかげですね。いまでも映画祭で上映され続けてるし、転機になりました。
杉野 11月公開の『影踏み』では22年ぶりに山崎さんが主演ですね。楽しみにしています。『月とキャベツ』以降は順調にオファーがきた感じですか?
篠原 そうですね。杉野さんと最初にご一緒したのは『死者の学園祭』ですよね。僕は『深呼吸の必要』までは『月とキャベツ』の流れを持ちながら撮っていた気がする。でも’06年の『地下鉄(メトロ)に乗って』以降、ちょっと変わったかな。
杉野 浅田次郎さん原作の。
篠原 そう、タイムスリップや戦争という題材も大きかったし、僕にとって難易度の高い作品だった。いろんなことを学びましたね。そういう意味でも僕は映画をそのつど現場で学んできたんだと思います。杉野さんは、最初は黒澤明さんの助監督でいらしたんですよね。
杉野 そうです。大学5年のとき「『乱』の助監督募集」という大きな新聞広告が出たんです。それを見てダメもとで受けたら受かって。
篠原 実はね、それ僕も応募したんですよ。でも1次で落ちたの。
杉野 ええ!! もし受かっていたら、違う人生が……!(笑)。運命ってわからないものですね。

篠原哲雄 しのはらてつお 映画監督。1962年生まれ、東京都出身。大学在学中に映画の現場を経験、その後助監督として森田芳光、金子修介監督らに師事。1989年に自主製作映画『RUNNING HIGH』でPFFアワード1989特別賞を、『草の上の仕事』で神戸国際インディペンデント映画祭グランプリを受賞。代表作に『月とキャベツ』『はつ恋』『昭和歌謡大全集』『ばぁちゃんロード』など。11月には最新作『影踏み』が公開。

杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『チア男子!!』『最高の人生の見つけ方』などに参加。

撮影/野呂美帆
取材・文/中村千晶