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杉野剛

杉野剛

杉野剛

撮影/野呂美帆

キャスティングディレクター・杉野剛が映画監督を深掘り。

第27回目は、『八日目の蟬』の成島出監督です。

杉野 監督とは『八日目の蟬』をはじめ何本もご一緒させていただいていますけど、映画監督になった経緯は聞いたことがありませんでした。子どもの頃から映画が好きだったんですか?
成島 実はずっとピアノやブラスバンドをやっていて、映画には興味がなかったんです。ピアノは子どもの頃からやっていて、音大に行きたいと思っていたんですけど、ある年齢になると周りとの実力の差が嫌でもわかってくる。自分には才能がないんだなと。それで、高校に入るときに音楽を諦めたんです。
杉野 高校時代は何をやっていたんですか?
成島 毎日ブラブラしていました。僕は昭和30年代生まれで、戦後、親世代が豊かな社会にしてくれたけど、いい大学に入っていい会社に入ることが本当に幸せなのかと18歳の頃は悩んでいました。でも、勉強をしていなかったから大学受験もうまくいかなくて。生まれ育った場所の窮屈さや、長男であることの面倒臭さが嫌で、浪人するために東京の予備校に行くことにしたんです。ただ、上京初日に衝撃的な出来事があり…。

成島 出

こういう生き方も

あるんだなという、

新しい発見があった。

杉野 東京に来てすぐですよね。何があったんですか?
成島 田無にある寮へ行くために、新宿駅で降りて西武新宿駅へ向かおうと歩いていたら、空からサラリーマンが降ってきたんです。ヨレヨレのスーツを着ていて、靴もボロボロ。その靴が脱げて、僕の体に当たったんです。もう怖くなっちゃって。早くこの場を立ち去りたくて、三鷹駅からバスに乗って田無に向かうルートに変更しました。あのサラリーマンは将来の自分なのかもしれない…なんてことを考えながら、中央線に乗って三鷹駅で降りたら、駅前にコンクリートのビルがありました。それが「三鷹オスカー」という映画館だったんです。このまま寮に行っても勉強をする気にはなれないから、映画でも観てみようと。そのとき上映していたのは『タクシードライバー』『ミーン・ストリート』『ラストタンゴ・イン・パリ』の3本立てでした。そこで「こういう生き方もあるんだな」という新しい発見があり、映画の面白さにも気づいたんです。それから予備校には行かず、名画座に通ってばかり。1年で800本ぐらい見ました。
杉野 浪人時代に800本はすごいですね。
成島 とにかくジャンルもバラバラで、浴びるように映画を観ていました。神代辰巳さんの作品と『ローマの休日』を同じ日に観て、両方とも面白いと感じたり。後に映画監督になった時に「何でいろんなジャンルを撮ろうとするのか」と言われましたけど、その頃の影響が大きいかもしれません。
杉野 大学では映研に入られたんですか?
成島 はい。映研に入り8ミリを撮り始めました。映画にはどこかでたどり着いたかもしれませんが、あの空から降ってきたサラリーマンがいなければ、アプローチも違ったかもしれません。
杉野 “師匠”の長谷川和彦さんと出会ったきっかけは?
成島 3本目に撮った8ミリの長編を「ぴあフィルムフェスティバル」に出したら、審査員だった大島渚さんと長谷川さん(通称:ゴジさん)からほめていただいたんです。その際に「映画監督になりたいけど難しそうです」なんて話をしたら、大島さんが「君は映画監督になれるよ」と。そばにいたゴジさんも「なれる、なれる。うちで1本助監督をやったら撮れるから」と言われて。ゴジさんのところでスタッフに空きが出るということで、そこから書生生活が始まりました。

杉野 剛

職人として

映画を撮ってもいいんだと

気づいた。

杉野 書生時代は住み込みで?
成島 半分そんな感じで、ずっとシナリオを書いていました。ゴジさんから1本カチンコを叩けば監督になれると言われたけど、ゴジさんがなかなか撮らない(笑)。
杉野 シナリオは何かお題を出されたりするんですか?
成島 ゴジさんが撮ろうとしている作品のお手伝いですよね。一緒にシナリオを書いたりして。でも、やっぱり現場に出たかった。書生を始めて4年ぐらい経っていましたから。その時に森﨑東さんのドラマの現場に助監督として入れることになり、27歳で初めてカチンコを叩きました。
杉野 ほかに助監督としてついた監督はいましたか?
成島 相米慎二さんや平山秀幸さんたちの現場で助監督をやりましたけど、なるべく1人の監督に何本もつかないようにしていました。影響を強く受けすぎちゃうような気がしたので。
杉野 監督デビュー作の『油断大敵』はおいくつの時ですか?
成島 41歳です。平山さんの作品で知り合ったプロデューサーから声を掛けてもらって。役所広司さん演じる田舎者の刑事のキャラクターが、回り道をしながら監督になった自分の半生とシンクロしましたし、柄本明さん演じる泥棒も個性の強い“師匠”たちと重なって。シナリオを書いていた頃からご縁のある役所さんとご一緒できることもあって、力が入りました。
杉野 『油断大敵』を撮ってみて、いかがでしたか?
成島 とんがっている先鋭的な作品ではないですけど、浪人時代にゴダールの作品と『二十四の瞳』を同じ日に観てどっちも面白いと思えた自分だから撮れた映画なのかなとは思います。学生時代に音楽を諦めたように、才能がないという自覚は人一倍強く持っていたので、自分にはとんがった映画は撮れない。でも、平山さんの現場を経験した時に、アーティストではなく、職人として映画を撮ってもいいんだということに気づいたんです。そっちのほうが自分の性に合っているなと。普通に美味しい定食のような映画を撮っていきたいと思っています。

成島 出 なるしまいずる 映画監督。1961年生まれ、山梨県出身。2004年に『油断大敵』で映画監督デビュー。2012年に『八日目の蟬』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。その他の作品に『ソロモンの偽証』『ちょっと今から仕事やめてくる』『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』『いのちの停車場』など。

杉野 剛 すぎのつよし キャスティングディレクター。黒澤明監督に師事し、『乱』『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』で助監督を務める。その後、キャスティングに転向。近年では『異動辞令は音楽隊!』『リボルバー・リリィ』に参加。

撮影/野呂美帆