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小宮山雄飛

小宮山雄飛の〈音楽〉

ホフディランのボーカルにして渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダー。「TORANOMON LOUNGE」のプロデュース、食関連の番組レギュラーや雑誌連載も担当するなど幅広く活躍。
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小宮山雄飛

小宮山雄飛の〈音楽〉

音楽その5

2015.6.20

前回に引き続き佐村河内氏のゴーストライター事件を通して音楽をちょっと考えてみたいと思います。

まず一点、僕にはちょっと不思議に思う部分がありまして、それは彼が全聾(ぜんろう)の作曲家である、ということで天才扱いされたことです。

実際に耳が聞こえていたかどうかは別としてですが、そもそも全聾であることでなぜ評価がそんなに変わるんだろう?と。

例えばレイ・チャールズやスティービー・ワンダーのような全盲のミュージシャンについて語る際に「目が見えないのにすごい」なんて言う人はいませんよね。

決して目が見えないから人気があるわけではなく、純粋に音楽が素晴らしいから人気があるんです。

今にして思えば、耳が聞こえないということを必要以上に「売り」にしていた時点で(佐村河内氏本人はもちろん周りのマスコミ含め)、怪しむべきだったんですよ。

だってあれだけの交響曲を書ける人というのは、音楽の本質を完璧に理解している人のはずですから、そんな人は、あえて耳が聞こえないということを押し出そうなんて思いもしないはずなんですよ。スティービー・ワンダーが今更目が見えないことを売りにしようなんて、本人はもちろん周りのスタッフだって考えもしないですよね。

つまり佐村河内氏が全聾という部分をアピールしていた時点で、そんな人があんな曲を書けるはずがない=ゴーストライターがいるはずだ、と我々は気付いてもよかったわけですね。

皮肉なもので、全聾であるという佐村河内氏の最大のプロフィールこそが、実はゴーストライターを使っていると自分で告白していたようなものなのです。

さらに興味深かったのは、例の謝罪会見の後に初めてテレビの取材に佐村河内氏が応じた際に、最後の言い訳(?)として、びっしりと文字が書かれた『指示書(佐村河内氏が書いて新垣さんに見せて曲の構成などを決めていたという)』を出してきて、これだけ自分が細かい指示などを出したから曲は共作だと言っていたんですね。

でも、おそらくミュージシャンが100人いたら100人全員が『指示書』を書いた人を共作の作曲者なんて考えないと思うんですよ、普通。譜面を書くなり、演奏するなり、あるいは鼻歌レベルでもとにかく音があれば作曲と呼べますが、文章だけでいくら細かく指示をしたところで、それを作曲と考える人なんて音楽界に絶対いないんですよ。この時点で佐村河内さんという人は「音楽」というものを100%間違って解釈していたんだなと思いましたね。

それでは、こんな佐村河内の本質を知ったことで、果たしてここから音楽についてどんなことが見えてくるでしょうか。

まとめると、極度の出たがりで、耳が聞こえないアピールが強くて、指示の文章だけでも作曲と考えている人、それが佐村河内さんな訳ですけど、これって一番重要なはずの「音楽」が完全に抜けてるんですよね。佐村河内さんの中には実は音楽が全くなかった訳です。

そして、その抜けていた「音楽」こそがゴーストライターの新垣氏な訳です。

そうなると「音楽=新垣さん」ってことになりますね、なんか「音楽」というタイトルのコラムの結論が「新垣さん」っていうのもすごいですね(笑)。

しかしゴーストライター=姿形が見えない存在と考えると、それこそが「音」という気もするので、なにか意味深でもあります。

佐村河内さんはインタビューの最後に「今後は嘘のない人生で、音楽を続けられなくても何かで生きていければ…」と言っていましたが、問題はそもそも佐村河内さんの中に「音楽」が本当にあったのかということですね。