強く印象に残っているのは、その目だった。白石監督は『彼女がその名を知らない鳥たち』のあるシーンで、阿部サダヲの見せた目が忘れられないという。
「陣治(阿部)と十和子(蒼井優)が電車に飛び乗った後、ギリギリのタイミングで男性が入ってきて、十和子が一瞬見とれたのに気づいた陣治がその男性を押し出すシーンがあるんですね。映画では満員だった電車内が2人きりの世界になるんですけど、僕は阿部さんに“5分前に人を殺してきたばかりの目で十和子を見てください”と伝えたんです。そのときの阿部さんの目が、何かを見ているようで何も見ていないような、とても印象的な目で」
5月6日に公開される最新作『死刑にいたる病』で、阿部が演じた連続殺人鬼の榛村大和も、感情の読めない目をしている。
「そうした底知れなさが阿部さんのたまらない魅力の一つですし、あのときの目をもう一度見たかったというのが、榛村役をお願いした最大の理由です」
佐野陣治と榛村大和は、真逆と言ってもいいほどのキャラクターだ。
「陣治は共感できる人物でしたから、僕も心情を理解しやすかったというのはあります。一方で、榛村の心情を映し出すシーンというのは、実は映画の中にはなくて、阿部さんとも話し合いながらその辺を埋めていきました。僕もシリアルキラーの気持ちは最後までわからなかったので。難しい役だったとは思いますけど、底知れない阿部さんの雰囲気が、まさに榛村大和としての正解だったんだなというのは、撮り終えた今すごく感じています」
役をとことん掘り下げることができたのは、出演者が少人数だったことも理由の一つ。
「じっくり演出がつけられるので、大人数の映画とはまた違った良さがありますよね。新鮮な気持ちで撮れました」
少人数でもキャストは豪華。キーパーソンの一人、筧井衿子は中山美穂が演じている。
「本当によく出ていただけたと思います。松尾スズキさんの『108~海馬五郎の復讐と冒険~』という映画の中山さんがすごく良くて、ちょうどこの映画のキャスティングをしているときだったので、お願いしてみたら“やります”と。天下の中山美穂ですからね。そのオーラを纏いながらも上手く消して、優柔不断な主婦になってもらいました」
もう一人のキーパーソンとなる金山一輝は、岩田剛典が担当。
「岩田さんは、たぶん『凶悪』のときだと思いますが、あいさつしてくれて、そのときの印象がずっと残っていたんですね。とはいえ、これまでなかなか良い役がなかったんですけど、今回の映画で、もしかしたらと思って声をかけさせてもらったという経緯があります。次もまた大きな役で一緒に仕事したいなと本当に思っていますね」
そして、榛村と対峙する大学生の筧井雅也は、今勢いに乗る22歳の岡田健史が演じる。
「岡田くんと阿部さんの面会シーンは、お互いの芝居の質が違うのでどうなるのかなと思ったんですけど、阿部さんがしっかり受け止めてくれましたし、岡田くんも計算しながらやっていたので、緊張感が伝わってくる良いシーンになりました」
実は、撮影中にあるハプニングがあった。
「映画の後半、森の中で雅也が“追いかけっこ”をするシーンがあるんですけど、そこで岡田くんが手を怪我してしまったんですね。こちらも気をつけてはいましたが、取りきれていなかった植物の茎で切ってしまって。すぐに病院で5針ほど縫ったんですけど、そこから撮影するシーンがけっこう残っていて。ただ、岡田くんは包帯が映ることで芝居を制限したくないと言うんです。わかった、好きなようにやって良いよと伝えて、包帯が映るところはCGで消していったんです。でも、なんとなくそれだけじゃ嫌で、岡田くんの怪我を芝居の中に取り入れていきました」
あるシーンでは、その怪我が効果的に使われている。
「岡田くんには本当に申し訳なかったですけど、まさに怪我の功名でしたね。この映画は、いろいろな偶然が積み重なってできたと思っています。場所もそうで、冒頭の水路のシーンなど、ロケ地がここだったから撮れたというシーンもけっこうあって、ロケハンしながら映像が広がっていった映画でした。不思議な地の力がある映画と言えるかもしれません」
白石和彌 しらいしかずや 映画監督。1974年生まれ、北海道出身。中村幻児監督主催の映像塾に参加。以降、若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として活動。2010年に『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で長編映画監督デビュー。主な監督作品に『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』『サニー/32』『止められるか、俺たちを』『麻雀放浪記2020』『凪待ち』『ひとよ』『孤狼の血』シリーズなど。5月6日に最新作の『死刑にいたる病』が公開。その他、『仮面ライダーBLACK SUN』『極悪女王』、プロデュース映画『渇水』(監督:高橋正弥)の公開も控えている。
白石監督にとっても、転換点になる作品となった。
「『凶悪』を撮ったぐらいのときから、実際の事件を調べつつ、人をどうやって殺めるのかをすごく考えるようになって、一時期、本当に人を殺しているんじゃないかという妄想に取り憑かれたことがあったんですね。死体を山に埋めたことがあるんじゃないか、海に捨てたことがあるんじゃないかって、汗でびっしょりになったりして。今はもう乗り越えていますけど、ちょっと入り込んでいた時期があって、そういうことを含めて自分の思いに決着をつけたかったというのもあります。きっとたまたま映画を撮って自己実現しているから、犯罪者になっていないだけだと思うので」