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細野晴臣

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細野晴臣

失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る不定期連載の第6回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。

細野晴臣

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS

消えてゆく物や場所。

細野晴臣

ラジオで曲をかけるときも、すごく気を遣う。

 東京オリンピックが終わったね。観たよ。始まったら、やっぱり確認しないと。何でもそう。サッカーのワールドカップなんかも観ちゃうしね。

 でも特に感想はないな。開会式は文句を言いながら観てたよ、長いなとか言って。それはみんなも同じように思ってたみたいだね。正直なところ、いろんなことがあって、すごく気が重かったんだ。直前に起きたできごとだから、いったい何がどうなってるのか全然わからなくて。それで暗い気持ちで観ていて、前半はよく覚えてない。が~まるちょばのところだけ、あ、これいいじゃんと思って。ピクトグラムの連続パフォーマンス。あれはよかったね。でもそれくらいかな、覚えてるのは。

 複雑な状況で開催されたこともそうだし、とにかくいろんなことが周りで起こってたから、他人事とは思えなかった。それはいまだに尾を引いてるし、解決ができない。痛々しい話だよね。欧米ではキャンセル・カルチャーって言うみたいだけど、発言や行動がすべてチェックされて、問題があるとネットで炎上したり、社会から排除されたりする。これはもう抗いがたい風潮なのかな。

 ラジオで曲をかけるときも、すごく気を遣うよ。

 前に選曲したローズマリー・クルーニーの「家へおいでよ(Come On-A My House)」は、クルーニー自身も歌うのを嫌がったと言われる曲で、いろんな批判があるんだ。娼婦の歌だ、とかね。それをいま流していいのか、かなり悩んだけど、素晴らしい出来の曲だから、そのときは「キャンセル・カルチャーも恐れず」とコメントを一言入れてかけることにした。

 一方で、すごく好きなカントリーの曲があって、それは長距離ドライバーの歌なんだけど、悩んだ挙句に流さなかった。眠気覚ましにピルを口に入れるという歌詞が、たぶんドラッグの摂取を意味していてね。それが許されるような時代は終わったんだ。

みんながなんとなく幸せだった。

 いや、ほんとB級ディストピア映画の世界だよ、いまは。B級じゃなくてC級かも。演出が下手だから。かなり多くの人が、これまでとはちがう世界になったな、なんか変だなって感じてるわけでしょう。

 感染の拡大が終息したら、いったいどうなるんだろう? あんまり好きじゃないけど、ユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者は、パンデミックが終わってもこの規制社会は続くだろうってどっかで言っていた。それはそうかもしれないな。でもあんまり長く続いたら、人々が暴動を起こすだろうと思うんだよね。

 日本の人たちはすでに緊急事態宣言が出てもなかば無視してるでしょう? 信頼関係がないんだろうね。政府、メディア、人々の関係が、いまほど離れた時代はなかったかもしれない。誰も信じられないと思ってる人はいっぱいいると思うよ。

 1964年の東京オリンピックが終わったあと、東京の街は大きく変わった。今回のオリンピック後も、コロナの影響とか、いろんな状況がそれを加速して、街を変えていってしまうんだと思う。カオスがどんどんなくなって、のっぺりとした、あまり面白くない都市になっていくんだろうね。

 東京がピークだったのは昭和30年代。そのあとは衰退の一途をたどってる気がするな。当時の人たちはそれと気づかずに、文句を言いながら生活してたんだろうけど、いま振りかえるとあれが都市の理想的な姿だった。みんながなんとなく幸せだったんだよね。当時の写真を見るとびっくりするよ。僕が住んでいた白金の辺りにも、戦争で焼け残った古い建物があって、都電が走っていて、空が広かった。そんな時代を生きてたのかと思うと、不思議でしょうがない。

細野晴臣

 都電が廃止されたのは1964年の東京オリンピックのあとだけど、あれは一度なくしちゃうと復元できないから。都電に限らず、たいていのものがそうだね。

 たとえば東日本大震災のあと、地震への備えとして古い家を壊さざるを得なくなったのは、もちろん僕にも理解できる。東陽町にあった、古いお総菜屋さんはそういうケースだった。そこは戦後すぐにできたお店で、国から取り壊さなきゃいけないと言われていたんだよね。その女将さんに天井を見てくれと言われて、見てみたら、梁が落ちそうなくらい古かったわけ。だから取り壊す寸前に、誰かが記録しておくべきだと思って、僕がその女将さんにプライベートでインタビューしたんだ。その記録がiPhoneに残ってるけど。

 まあでも、建物とか外観とかいうことよりも、やっぱり中身だよね。究極的にはそれは人間の心の問題だけど、それ以前に街の文化として大事なのが飲食店。飲食店がなくなっていくのが、僕はいちばん絶望的な気持ちになる。

絶望感がうっすら漂いつづけてる。

 数年前まではあったんだよね。街には必ずいろんな食事処があって、そういうお店はどこへ行ったっておいしかった。安い、早い、うまい。全ての料理屋がそうだったからね。でもそれが普通だと思ってたから、なくなるとがっかりするんだ。

 下町のほうに行けば、まだかろうじて古い飲食店が残ってるけどね。長く通ってる、ある洋食店の店主に建て替えの相談をされたときは、絶対に駄目だって釘を刺しておいた。その言葉が店主にとっては重くのしかかってるみたいだけど、どうしても建て替えなきゃいけない場合もあるだろうから、そうなったらもう仕方ない。

 これまでさんざんそういう光景を見てきたし、いまさら別に驚くことはないよ。何もできないからね、僕はそういうことに対して。だから思い入れはあまりないって言ったほうがいいのかもしれない。深く考えると、つらくなっちゃうからね。もうしょうがないんだろうと、絶望感がうっすら漂いつづけてる状態だよ。

 音楽に関しても、小、中規模の会場がどんどんなくなってきて、発表できる場が減っている。すると、いい場所には人が殺到して、予約がますます取れなくなってね。自分に財力があったら、そういう場を作りたいと思うよ。どれくらいかかるかまったくわからないけど、ちょっと憧れるな。

 ひところのニューヨークだと、寂れた地域にカルチャーが育ったりしてたわけでしょう? かつてのグリニッジ・ヴィレッジとか、ついこの間まではブルックリンとか。そういうところに若い世代が集まって、音楽や文化を生みだしていたけど、どうやらそれもいまはなくなったんだな。

 東京でも、たとえば渋谷の並木橋のガード下だったかな。一時期解放して、そこに若い人たちが集まってたみたいだけど、そういうことは一時的なことなんだよね。そうやって文化を育むデッドスペースが、東京から姿を消しつつある。

細野晴臣

生きていくということが自分に残された最後の意思。

 コロナの時代になって、何が本当かよくわからなくなっちゃったな。ウイルスは見えないから。その分、都市伝説が溢れだしてね。

 僕は矢追純一の頃から都市伝説が好きで、都市伝説をエンターテイメントとしてとらえてきた。でも2020年から都市伝説が都市現実になってきている。裏に隠れていたものが、表に出てきてね。もちろんネタによっては踊らされてるところがいっぱいあると思うけど、起きてることは現実でしょう。それに対して反応してるわけで、伝説じゃないんだ。都市伝説を楽しむ時代は終わって、向き合わなきゃいけなくなってきてるんだよね。

 いま真実が何かを判断することはとても難しいと思う。本当のことなんて一つじゃないからね。嘘の中に本当のこともあるし、とてもじゃないけど判断はできない。そうなったらもう、生きていくということが自分に残された最後の意思だと考えて、シンプルにその本能に従うしかないんじゃないかな。シリアスな時代だと思うよ。

細野晴臣 ほそのはるおみ 音楽家。1947年生まれ、東京都出身。’69年にエイプリル・フールでデビュー。’70年にはっぴいえんどを結成。’73年からソロ活動を開始、同時にティン・パン・アレーとしても活動。’78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS