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細野晴臣

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細野晴臣

失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る不定期連載の第5回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。

細野晴臣

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS

幼い頃の曲。

細野晴臣

一度好きになったものはずっと残ってる。

 インターFM897のラジオ番組『Daisy Holiday!』(日曜深夜25時~25時30分)で、録音から編集まですべて自分でやるプログラム「手作りデイジー」を月に一度、毎月頭に放送してるんだけど、2月から幼少期に聴いてた音楽をかけはじめてね。

 きっかけは、評伝『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋)の中で話した幼少期の音楽体験について、例えばハンク・ウィリアムズの「カウライジャ」と言っても知らない人が多いだろうから、それをラジオで聴いてもらいたいと思ったことなんだ。でもやりはじめたら全然止まらない。4月の「手作りデイジー」で紹介したハープシコードを用いたロックやジャズも、主に中学生の頃に聴いてた曲だし、当時耳にしてた音楽がいかに広くて深いか。しかもいちばんたくさん聴いてた時期だからね。どれだけ曲をかけても終わりそうにないんだ。選曲にもかなり気を遣うので、とにかく準備に時間がかかる。ただのオールディーズ番組になっちゃうのが嫌で、今のリスナーに通じるものを選曲してるつもりだけど、どうだろう? 新鮮に感じてくれてるなら、まあ、よかったかな。

 不思議なことに、一度好きになったものはずっと残ってる。忘れたりしないんだよね。

 4、5歳の頃、最初に夢中になった曲は、母に「太鼓のレコードかけて」とねだって、何度もかけてもらった太鼓のリズムが際立つレコード。でもそれが誰のどの曲だったのか、実はいまだにはっきりしないんだ。おそらくベニー・グッドマン楽団だと思うけど、その頃流行ってた「シング・シング・シング」を今あらためて聴いても、まるで好きじゃない。

 だからと言って、実際に何を聴いてたか確かめて、曲を特定するのも嫌なんだ。知りたくもないというか、わかってもあんまり面白くないと思う。イメージのほうが強く残ってるからね。

母が映画好きだった影響は大きい。

 母にねだらず、自分で電気蓄音機にSP盤をかけるようになってから集中的に聴いたのが、『白雪姫』や『三匹の子ぶた』といったディズニーの映画音楽。「SP盤はすぐ壊れるから気を付けて!」と言われながらね。レーベルに日本語の表記があったから、はっきり覚えてるんだ。『三匹の子ぶた』の挿入歌「狼なんか怖くない」はよく口ずさんでた曲のひとつで、その歌詞にある「Who’s Afraid Of The Big Bad Wolf」が「風俗 低俗 風来坊」みたいに聴こえてたから、それが「風来坊」(はっぴいえんどの1973年発表のアルバム『HAPPY END』に収録)の歌詞に繋がった。

 その頃聴いてたSP盤は、今も6割ぐらい残ってるよ。とは言え、今どこにあるんだろうな(笑)。『三匹の子ぶた』は少しひびが入っちゃったから、レーザーで読み取ってデータ化したのを覚えてるけど。

 エンタツ・アチャコの『慰問袋』というSP盤もあったね。戦場で兵隊が聴く慰問の漫才みたいなやつ。軍歌や演歌みたいな曲も聴いてたし、浪花節のSP盤もごそっと家に置いてあったから、片っぱしから聴いていた。ただビッグヒットしてるようなのはなかったな。例えば「リンゴの唄」とか「リンゴ追分」とか。

 15年くらい前、『FLYING SAUCER 1947』というアルバムを出した時に、カントリーの古い曲をカバーしたんだけど、歌っていて自分の発声が演歌っぽくなってるなとひそかに感付いたんだ。だからそういうカントリーを、和服を着て、こぶしを入れて歌ったら面白いだろうなと。いつかやってみたいと思ってたんだけど、もう無理だね。誰かやらないかな?

細野晴臣

『オーケストラの少女』の主題歌「It’s Raining Sunbeams」も幼い頃に聴いてた曲。1937年に日本でも公開された映画だけど、映画音楽というよりアイドルだね。日本の女学生はみんな映画を観て、主演のディアナ・ダービンに憧れた。日劇で上映された時、行列が二重くらい日劇のまわりを囲んだっていうから、相当な人気だよね。テレビがまだ普及してない頃だから、映画との距離が本当に近かった。今のテレビと同じようなものだと考えればいいんじゃないかな。だから映画が公開されると、みんな飛びつくように観にいった。自分で観にいこうなんてまだ思えない頃から、僕も母に連れていかれてたわけで、母が映画好きだった影響は大きいね。

 ディズニーとかミュージカルとか、ファミリー向けの映画は家族で観にいくんだ。でも母が個人的な趣味で観たい映画、大人のドラマの時は僕が引っ張り出されて、横で静かに寝てた。なんか会話が多くて暗い映画だなと思いながら(笑)。

カントリーにのめり込んだ。

 その後、テレビが家にやって来てからは、テレビの影響が大きくなる。楽しかったな、『シャボン玉ホリデー』とか。

 西部劇やカントリー&ウエスタンに親しむようになったのは、1959年に放送が始まった『ローハイド』がきっかけ。考えてみれば、ジョン・フォードの映画を友だちとよく観にいってたから、好きになる下地があったんだろうね。『ローハイド』の放送が始まる前、「アダルト・ウエスタン」っていうキャッチコピーでキャンペーンが打たれていたので、これが大人の世界かと思って観てたんだ。それまでのドラマは『名犬ラッシー』とか『名犬リンチンチン』とか、子ども向けのものばかりだったから。

 フランキー・レインが歌う『ローハイド』の主題歌のレコードを買ってもらって、そこからカントリーにのめり込んだ。当時はカントリーの全盛期で、ヒットチャートにもカントリーの曲がいっぱい入ってたから、カントリーだと意識することなく聴いてたけどね。

 時代劇にも夢中になったけど、それが音楽に直接反映されることはなかったな。唯一あるとしたら、黒澤明の『用心棒』。1990年代にサムシング・ワンダフルという若手のグループがいて、彼らと一緒に音作りをしてた頃、『用心棒』のテーマを聴かせたらやりたいという話になってね。一度カバーしたことがある。音源は残ってないけど、それにベースを入れた覚えがあるな。すっかり忘れてた。でもやり残した感じがあるから、もう一回やってみたいね。当時聴いてたアメリカン・ポップスの中にも、自分でやってみていいものがあるかもしれないけど、やっぱり聴いてるほうが好きなんだ。カントリーやブギウギを自分で歌ったり、演奏したりするようになったのは、そこにやりがいがあったから。自分への挑戦っていうかね。ブギウギの「Ain’t Nobody Here But Us Chickens」を初めてカバーした時、こんなの歌えないと思ったけど、練習したら歌えるようになった。それが快感だったんだ。

細野晴臣

今はラジオが面白い。

 カントリーやブギウギは自分の声と合うんだよね。なんでかと言うと、例えばカントリーの歌手は声にビブラートを付けないから。僕も付けないし、付けたことがない。だからカントリーやブギウギには、まだ自分でやれる曲があると思うんだけど、コロナの時代になって、ピタッと停止しちゃった。ギターにすら全然触ってないしね。いつも挨拶はしてるんだ、ギターに(笑)。でも触らない。

 今、音楽と関わってるのは、何度かやった映画音楽は別にするとラジオだけだね。自分の中では、「手作りデイジー」がメインの活動。ソロアルバムを作るのと同じくらい、今はラジオが面白い。

 でも最近はポリティカルコレクトネスの問題もあって、選曲にはかなり気を遣うんだ。曲を一度並べてみて、やっぱりやめたとか、けっこうあるよ。あるシンガーなら、そのいちばんのヒット曲をかけるのが普通なんだろうけど、B面みたいな曲をかけるのが好きだしね。「B面に恋をして」みたいな(笑)。

細野晴臣 ほそのはるおみ 音楽家。1947年生まれ、東京都出身。’69年にエイプリル・フールでデビュー。’70年にはっぴいえんどを結成。’73年からソロ活動を開始、同時にティン・パン・アレーとしても活動。’78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。

取材・文/門間雄介
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS