FILT

YADOKARI

未来住まい方会議

アートディレクターのさわだいっせいとプランナーのウエスギセイタを中心とする「住」の視点から新たな豊かさを定義し発信する集団。ミニマルライフ、多拠点居住、スモールハウスを通じ、暮らし方の選択肢を提案。主な活動は、『未来住まい方会議』運営、スモールハウスのプロデュース、空き家・空き地の再利用支援ほか。
250万円のスモールハウス『INSPIRATION』販売開始。http://yadokari.net/

第4回「持たない暮らし」

2015.9.20

六年ぶりに引っ越しをした。今度の部屋は、建物と建物の間からほんの少しだけ海が見える。なるべく物は増やさないようにして暮らしてきたつもりだったが、荷造りをしてみると、引っ越し業者に用意してもらったダンボールにはとてもじゃないが収まり切らない。押し入れの奥深くからは、六年間一度も取り出したことの無かったガラクタがいくつも出てきた。きっとまた、新しい部屋に持って行っても押し入れの奥に押し込んだまま、次の引っ越しの時まで出てこないのだろうとは思うけれど、捨てるのはなんだか惜しまれる。

そんなふうに重たい荷物を抱えてあっちからこっちへ引っ越してみると、山頭火みたいな生き方に憧れてしまうのだ。

網代笠と杖、黒染めの衣に袈裟を被った丸縁眼鏡の禅僧で、自由律俳句の俳人。その脚で日本中を歩き、流離うのが彼の人生だった。財産は、布施を戴くための鉄鉢ただ一つ。


  春風の鉢の子一つ

   (種田山頭火「行乞途上」『山頭火句集』筑摩書房、1996.12、p.63)


出家する前、山頭火こと種田正一が営んでいた古書店は、その名も「雅楽多(がらくた)書房」といった。大正十三年十二月、酒に溺れて熊本市内を走る路面電車の前に立ちはだかった。居合わせた記者によって助けられ、そのまま曹洞宗報恩寺で出家する。出家してからも、留まると濁ってしまう水のような自分を持て余し、山頭火はあらゆるガラクタを捨てて行乞の旅に出た。

「物を持つこと」が豊かさの象徴だった時代があった。ブランドのバッグや服、高級車、大型テレビ……。欲しい物を手に入れる為にみんな一生懸命に働いた。手に入れた瞬間はとても嬉しい。自分のレベルが一つ上がったような気持ちになる。けれど、そんな高揚もすぐに醒める。また次の新しい物、もっと高級な物が欲しくなる。物欲には終わりが無い。気がつけば、家は使わなくなった物で溢れかえっている。

「断捨離」という言葉がブームになった。やましたひでこ氏の著書がきっかけだ。2010 年には、流行語大賞にも選ばれている。元になっているのは、ヨーガの「断行(だんぎょう)」「捨行(しゃぎょう)」「離行(りぎょう)」という考え方だ。「断」は、油断すれば次から次へとやってくる要らない物を断つこと。「捨」は、すでに持っている要らない物を捨てること。「離」は、物への執着から離れること。

断捨離ブームと同時期にベストセラーとなったのが、近藤麻理恵氏の『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)だった。ときめく物だけを残し、それ以外は徹底的に捨てるというその整理術は海外でも話題を呼んだ。「こんまり」こと近藤氏は、2015年4月に発表された米TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。

最近では「ミニマリスト」という言葉を耳にする。必要無い物、ときめかない物はもちろんのこと、彼らは絶対必要だと思う物や、大好きな物まで捨ててしまう。引っ越してきたばかりのようながらんどうの部屋。そのあまりの生活感の無さに訪ねた友人たちは驚くが、極限の「持たない暮らし」は体験してみると大変心地よいのだという。

一つ物を捨てると、物理的にだけでなく、気分も軽くなる。一つ、自由になる。

放下著(放下「着」とも書く)という禅語がある。唐の時代の僧、趙州和尚の禅問答が元となっている。

厳陽尊者という僧が、趙州和尚に尋ねた。
「私はすべてを捨てました。(これ以上修行の必要は無いように思いますが)この先はどのようにすれば良いのでしょうか」
趙州和尚は答えた。
「放下著(捨てなさい)」
「ええっ、もう何にも持っていないのに、これ以上何を捨てろとおっしゃるのですか」
「それなら担いで行きなさい」

何も持っていないのに「捨てろ」と言い、もう捨てる物が無いと言えば「担いで行け」と言う。多くを語らない禅問答は矛盾しているように聞こえる。しかし、すべてを捨てたはずの厳陽尊者にも、まだまだ捨てきれない物があったのだ。それは、「すべてを捨てることこそ素晴らしい」と思う、執着ではなかったか。

山頭火は、昭和五年十一月二十四日の日記にこう記している。

荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少なくなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。

    (種田山頭火『山頭火 日記(二)』(山頭火文庫6)春陽堂書店、1990.3、p.17)

行乞に必要な鉄鉢がただ一つの所持品である身でも、執着は捨てきれない。しかし、そんなふうに悟りきっていない山頭火の句であるからこそ、人の心を打つのだろう。

  捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

   (種田山頭火「鉢の子」『山頭火句集』筑摩書房、1996.12、p.24)

死の覚悟が出来た時、山頭火は鉢の子さえも友人に託し、「ころり往生」へ向けて歩いて行った。

さて、まだ悟ることも死ぬことも出来ない自分である。前の部屋から持って来た荷物は、やはりまた押し入れの奥に眠らせるのだが、それでもできるだけ、古くなった物や使わなくなった物、もう読まないであろう本はこの際に処分した。畳の上には小さな机があるだけだ。ごろりと寝転び、潮の音を聴く。高級品は一つも持っていないが、この環境が何よりも贅沢だ。


<参考>
村上護、吉岡功治『山頭火と歩く』新潮社、1994.7

モノを極限まで減らした暮らしは本当に快適!? - 「ミニマリスト」佐々木典士さんに聞く
(マイナビニュース 2015/08/19)
http://news.mynavi.jp/articles/2015/08/19/minimalist/

backnumber

CONTENTS