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加藤 内田さんとは前からお付き合いがあって、いろいろ聞いていると経歴が面白いんですよ。中学生のときはやんちゃだったんですよね?
内田 いや普通ですよ。“対外試合”はあったりしたけど。
加藤 対外試合って要はケンカでしょ(笑)。
内田 そうなんだけど、先生とも仲が良かったし、荒れていたけどいい学校でしたよ。ただ、あまり中学には行っておらず、卒業したら就職しようと思っていて。当時、うちの学校のあった名古屋市の港区は、中学を卒業して就職する人が多かったんです。先方の都合で僕の就職の話はなくなったんだけど。
加藤 それで高校に進んだ?
内田 そう。担任が大学でラグビーをやっていたんです。僕はサッカー部に入っていて県代表候補に選ばれたりしたんだけど、ラグビーの試合にも駆り出されていて。担任の先輩がラグビーの選手として欲しいということで、スポーツ推薦で進学することになったんです。

加藤 スポーツ推薦ということは私立?
内田 いや公立。名古屋市内の高校は、まぁいろいろダメだからということで……。
加藤 素行悪いって知られているから(笑)。
内田 まぁ(笑)。僕がいたところは愛知県の西側だったんだけど、入学する高校がある瀬戸は東側のほうで、離れているから大丈夫だろうということになったみたい。
加藤 そこで陶芸と出会うことに?
内田 でも、進学した瀬戸窯業高校が焼き物を作ったりする学校だと知ったのは、願書提出のときだったんです。
加藤 焼き物に興味はなかったんですよね?
内田 なかった。高校には電気科や機械科もあったけど、入れるのが窯業科だったから。
加藤 焼き物の授業は楽しかったですか?
内田 楽しかったですよ。先生の壺より大きいものを作ったら、また先生がそれよりも大きいものを作って競い合ったり、定時制もあったから、放課後その生徒たちに交じってろくろを回したりして、どんどん上達していきました。

加藤 ハマっていったんだ。
内田 ただ、3年生の時に腰をケガしてラグビーができなくなったんです。スポーツ推薦で入ったのにこれじゃ学校にいても意味がないなと思って、行きたかった海外に行ってみようと。
加藤 自主退学ですか?
内田 先生は「卒業できるかわからないけど籍はおいておく」と。
加藤 相当問題児ですよ(笑)。
内田 そうですかね?(笑)

加藤 海外に行くお金はあったんですか?
内田 中学の頃からバイトしていたから、そのお金で。
加藤 まだ10代ですよね。海外に行ったままですか?
内田 日本に戻ってきたりしたけど、アメリカ、韓国、タイ、ベトナム、アフリカ、ヨーロッパ……いろんな国に行きましたね。焼き物を学んでいたから、韓国ではキムチの甕を作ったりして。国によって土もろくろの回し方も全然違うんですよ。日本では知ることができないことを学べたし、いろんな技術を習得することができました。
加藤 すごいな~。その間、自分の作品も作って。

内田鋼一 うちだこういち 陶芸家・造形作家。1969年生まれ、愛知県名古屋市出身。世界各国の窯業地を巡って経験を積み、1992年から三重県四日市市を拠点に活動。2015年には四日市市に『BANKO archive design museum』を設立。個展開催の他、商業施設のアートワークやデザイン監修など、活動は多岐にわたる。

内田 いろんな国で作っているうちに、いつの間にか展覧会をやることになったりもしましたね。
加藤 皆さん、内田さんの存在をどうやって知ったんですか?
内田 古いものが好きで、自分で調べていくうちにだんだん世界中の古美術に詳しくなっていって、骨董屋さんがわからないことを教えてあげたりしているうちに、つながりができていった感じです。あと、海外で窯作りを手伝っていたので、日本でも頼まれて窯を作ったんですね。そうしたら、「せっかくだから内田さんの作品も焼きましょう」なんてことになって、そこから人の目に止まるようになっていったんだと思います。
加藤 知られていったんだ。一番刺激を受けた国ってどこですか?

内田 西アフリカのマリ共和国かな。そこでおばちゃんたちが煮炊きする土器や穀物を入れる甕などを作っていたんですね。みんな同じものを作っているはずなのに1人のおばちゃんの焼き物だけ明らかに違ったんです。
加藤 何が違うんですか?
内田 言葉で説明するのは難しいけど、他にはない“張り”があった。風船を膨らませていって割れそうなギリギリの緊張感のような、これ以上ない力がその甕にはあったんです。

加藤浩次 かとうこうじ 芸人・タレント。1969年生まれ、北海道小樽市出身。1989年に山本圭壱と「極楽とんぼ」を結成。コンビとしての活動のほか、『スッキリ』『がっちりマンデー!!』『人生最高レストラン』などでMCを務める。

加藤 製品とアートの“差”のようなものが見えたのかもしれないですね。
内田 そのおばちゃんの技術なのか、意識の違いなのか。もちろん商品を作っているんだけど、どこかアーティスティックなものを感じました。
加藤 この連載では皆さんに「至福のとき」を聞いているんですけど、内田さんにとっての至福のときって何をやっている時間ですか?
内田 加藤さんのような気心の知れた人や昔の仲間と酒を飲んでいる時かな。
加藤 焼き物を作っているときは至福ではない?
内田 好きだけど、決して至福ではない。でも、辛いかって言ったら辛くもないし、楽しいかって言ったら決して楽しくもない。まぁ、そんなふうにこれからも好き勝手に、自由に作っていけたらいいのかなって思っています。

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