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細野晴臣 ほそのはるおみ 音楽家。1947年生まれ、東京都出身。’69年にエイプリル・フールでデビュー。’70年にはっぴいえんどを結成。’73年からソロ活動を開始、同時にティン・パン・アレーとしても活動。’78年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。

 コロナ禍がようやく終息したね。でも元に戻ったというより、いろんなことが変わっちゃった気がするな。いちばん目立つのは小売店が減っちゃったこと。老舗や小さな飲食店が、もう疲れたのか、店を続々と閉めちゃった。あと犯罪が増えたよね。しかも前なら大事件だったような、すごくゆがんだ犯罪がニュースとしてただ通りすぎていく。
 罪の意識もなく強盗に加わったりとか、それが若者の特徴になってきてるっていうのかな。努力したり、苦労したりっていうのがなくなってきたから、手っとり早いことやるっていう。そんな風潮があるよね。お金がないっていうのが大きいんじゃないかな。日本が豊かじゃなくなってきてるんだ。
 マスクの着用を求められる3年間だったけど、僕は人混みや店のなかでだけマスクをしていた。みんなも今年になってから徐々にマスクをしなくなってきたよね。この前びっくりしたのは、あたりを見回すと自分だけマスクをしてることがあって、数年前と逆転してると思った。あのころはすごい騒ぎだったけど、あっという間に沈静化したというのかな。大変なことがたくさんあったはずなのに、みんな忘れちゃったね。

 3年間、マスクやワクチンに対する対応を見てきたけど、これじゃあ誰も“指導者”を信じなくなるだろうなと。社会というのは、人と人であれ、あるいは組織であれ、信頼関係を基盤にして成り立っている。でもこの3年で政治やメディアとの信頼関係は危うくなってしまった。
 福島第一原発で事故が起きたときも、放射能を含んだ雲の動きとか、風向きとか、日本の報道はいっさい伝えなかった。だからあのときはドイツ気象庁の発表やSNSの情報なんかを頼りにしてたんだ。今回も同じだよね。大事なことは報道しないっていうことがわかったし、僕だけじゃなくてそう思う人が増えてきた気がする。とくに若い人のあいだではメディア離れがかなり進んだんじゃないかな。

 元に戻ったことといえば、去年ぐらいから日本と海外の往来が頻繁になってきて、僕のスタジオにも海外のミュージシャンたちが来るようになった。ハリー・スタイルズ、アヴァランチーズ、ジョン・キャロル・カービー、ジンジャー・ルート、パスパルトゥー・デュオ……。
 新しい音楽を自分から探すことが少なくなったので、向こうからやって来てくれると助かるんだ。刺激されるしね。彼らは僕とかYMOとか、あのころの音楽を非常に好きだと言ってくれて、例えばジンジャー・ルートはカバーもしてくれてる。嬉しいことだよね。ハリー・スタイルズは『HOSONO HOUSE』からタイトルを借りて、『ハリーズ・ハウス』というアルバムを作ってくれた。彼はすごく真面目な人で、ずっと音楽の話ばかりしてたけど、そういった交流がないと僕はとっくにリタイアしてる気がするんだ。
 そういえば昨日の夜、驚いたんだけど、車でラジオを聴いてたら突然僕の曲が流れてきてね。『トロピカル・ダンディー』のなかから「ハリケーン・ドロシー」がかかって、曲紹介を聴くかぎり、その前には吉田美奈子の「ラムはお好き?」が流れていたらしい。誰のラジオだろうと思って車を止めて、最後まで聴いてたらクリス松村さんの番組だった。彼も、ハリー・スタイルズがここに来て、僕と一緒に写真を撮ってたというエピソードを話していた。
 松村さんは以前から僕の音楽を聴いてくれてたのかな。わからないけど、そういうことをきっかけに、僕の音楽を聴く人が出てくるっていうのは大事だよね。前は星野源くんが僕の宣伝をしてくれて、若い人たちが聴いてくれるようになったから。

 海外からいろんな人が会いに来てくれるのは嬉しいけど、自分から海外へ行く気にはまだなれない。その前にいまはソロ・アルバムを作りたくてしょうがないんだ。ただ、いままでとは違って、気楽に考えてないんだよね。自分のなかに主張したいことが出てきて、言葉を選んだりとか、いろんな試行錯誤をくり返してる。いまの気持ちのままにやると、プロテストソングみたいになっちゃうと思うんだ。それは自分には向いてないから。
 このあいだ、『報道ステーション』にオルタ4というAIが登場して、ピアノの生演奏に合わせて即興で歌うという企画があったんだけど、それがちょっとした話題になっていてね。テレビでは絶対に言えないだろうっていうような歌詞で、放送事故レベルのプロテストソングだったんだ。例えば「万博はまだ来ない 工事は進まない」とか。ともかく衝撃的だったけど、あれはなんだったんだろう(笑)。僕はもっとソフトに、ロマンチックにやりたいと思ってる。

 自分の気持ちはまだこの3年間を引きずってる。一方で、これからどんどん変わっていくんだと思う。その狭間で、いまなにが大事かということを考えてる。
 ソロアルバムを作るという話は去年から始まってたんだ。でもなかなか作れなかった。音楽どころじゃない時期がずっと続いて、やっと緩くなってきたからそろそろ作れるかなと思ったところ、仲間が亡くなったりとか、いろいろなことが起きてしまったから。
 でも最近になって、ようやく気づいてきたのが、メロディーがいま失われてるなと。だから『Daisy Holiday!』の月初めの企画「手作りデイジー」でフレッド・アステアを特集して、好きなメロディーを集めてかけてみたらやっぱりよかった。音楽の3要素はメロディー、リズム、ハーモニーだけど、メロディーはリズムから生まれてきたんだなと思ったりね。例えばブギウギを日本語でカバーすると、言葉のリズムが壊れて、その音楽のよさがなくなっちゃうのはそういうこと。

 最近の音楽は音質や音響がすばらしいでしょう? だいぶ進化していて、そういうことをやりたいと思う気持ちもないわけじゃない。でもふと口ずさむのはやっぱりメロディーなんだ。19世紀のアイルランド民謡とか、いまだに歌い継がれてるわけでね。サウンドはその時代かぎりのもので、記憶には残らない。ところがメロディーは記憶に残る。
 そんなことを考えるようになったのは、最近もの忘れが激しくてね。人の名前をよく忘れちゃうんだ。でも顔は覚えてる。例えば芸能人の誰それとか、名前は忘れても顔だけは出てくるんだよね、イメージだけは。音楽でいうと、イメージはメロディー。曲のタイトルは忘れちゃう。でもイメージは、メロディーは残ってる。ああ、メロディーはすごいなとそのときに思ったんだ。たしかにいまのサウンドはすばらしい。でも自分がやるべきなのはそういう音楽じゃない。古めかしいかもしれないけど、僕はメロディーとハーモニーの世界をもう1回やってみたいと、つい4、5日前から考えてるところだよ。

 10月に公開になる映画『アンダーカレント』では音楽を担当していて、そのなかの曲はほとんど音響で作ってる。『LAMB/ラム』とか『ノベンバー』とか、曲作りをする前に観ていた映画の音楽が音響系だったから、その影響もあったのかな。
 そのころはメロディーを極力排していこうと思ってたんだ。とにかく映画に沿うように、邪魔しないようにっていうのが、映画音楽に対する自分の姿勢になってるね。最近の映画はそもそもメロディーに頼らない傾向になっているし、昔はよく映画よりも音楽のほうが残っちゃうなんてことがあったけど、いまはあり得ないな。
 つい最近、自分はメロディーが大好きだということを再確認したところだけど、当分のあいだは考えることが大事だと思ってる。そういう意味では、夏休みっていうのかな。とにかく暑いし、いまはなにもできない。でも考えることはできる。しばらく休んで、秋になったら、そろそろなにかやりたくなってくるんじゃないかな。

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