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田中圭一

 手塚治虫そっくりの絵柄、でも内容は強烈な下ネタギャグ漫画という作風で知られる漫画家・田中圭一さん。実は長年兼業サラリーマンとして社会人生活を送ってきた。なぜ、漫画家を目指したのだろうか。
「大学2年生の時に、小池一夫さんが主宰する漫画村塾の神戸教室に入ったんです。東京校では高橋留美子さんとかすごい方が出ていたので、半分、好奇心で。ところがラッキーなことに大学4年の秋に「コミック劇画村塾」という雑誌でデビューできた。そこで『ドクター秩父山』という毎月6ページの連載も始まったんですけど、これで食っていけるという自信はなくて、当然のように就職しました。文系の学生ができるのは営業職くらいだろうし、それなら自分の趣味につながるもの、好きなものを売りたいと玩具メーカーの営業に入って。ところが入ってみたら社則で副業は禁止。でも当時の編集長に「ここで連載をやめちゃうのは惜しくない?」と言われて、誰にもばれないようにしてマンガ家を続けることにしたんです」

 平日は会社員、土日は独り机に向かった。
「仕事は大変でしたけど、玩具メーカーの営業は楽しかった。体育会系のノリでみんな仲がよかったですね。深夜まで働いて飲んで…バブル期って表から見たら華やかですけど、あれを裏で支えていたのは高いノルマを抱えて死ぬほど働かされている僕らペーペーの営業マンなんですよ!昨年対比130%の目標は当たり前。僕もノルマ達成のために、問屋さんが絶対に買わないであろうウソの商品案内書をわざと作って「買って」「いらない」の押し問答をした挙句「それなら、こっちはいかがですか?」と本命の商品を出して売るという「おとり商談」なる反則技を考えたりもしました(笑)。キツイことも多かったけど、全く違う二つの生活があったから、どっちも頑張れたと思う。漫画家として仕事がなくなったときも「じゃあ漫画を辞めてもいっか」とは思わなかったですね」
 巨匠たちのパロディ下ネタ漫画を発明する前夜、実は漫画家としてピンチにあった。劇画+ギャグ漫画という作風が時代と合わず、仕事が激減。そんな状態を救ったのは、玩具メーカー営業マンとして身に付いた力だった。

「『絵柄を変えて』と編集者に言われて試行錯誤しました。当時は大友克洋さんが流行ったあとで、ニューウエーブな絵柄がセンターでした。そんなときふと手塚治虫さんの漫画が目に入って。今こそ圧倒的に新鮮なんじゃないか、さらに当時のギャグの最先端、吉田戦車さんとか和田ラジオさんみたいな不条理を合わせたらミスマッチで面白いんじゃないかと思ったんです。手塚タッチを猛練習してスピリッツの増刊に描かせてもらったらドーンと反響が来て。今思えば商品開発的発想というか、昔ヒットした玩具をパッケージやコンセプトを変えるとまたヒットする、という知識が結びついてできた作風かもしれません」

田中圭一

 玩具メーカーを退職後、ゲーム会社やソフト会社を渡り歩き、漫画ソフト『コミPO!』も開発。現在は京都精華大学でギャグ漫画コースの先生をしつつ、自身のサラリーマン時代の経験を活かした漫画を執筆することも多い。
「パソコンで漫画が描ける『コミPO!』というソフトを発案できたのも、漫画を描いていた経験があればこそだし、特に40歳以降は両方のキャリアを組み合わせて仕事をしているところはありますね。よく『二足のワラジで大変ですね』と言われますけど、そんなことは全然ありませんよ。だって、子育てしながら働いている人はいっぱいいるじゃないですか」

「これからは漫画も紙じゃなくてスマホなどで読んでいく時代になる。紙をめくるだけのマンガじゃない、もっとデジタルである特性を活かしたプログラマブルなマンガがあってもいいはずです。そんな時代に僕ができるであろうことは、例えば『桃太郎』というマンガがあるとしましょう。まずページをめくると読者は最初に好きな漫画家さんを選ぶんです。手塚治虫だったり、松本零士だったり、そうするとその作品のタッチが変わる、つまり手塚治虫タッチの『桃太郎』になる、とか。パロディを始めて怒られたこと?幸運なことに、まだ一回もないんです。『一度痛い目に遭った方がいいよ』ってみんなからは言われますけど。ほっとくとどこまでも図に乗るからって(笑)」

「比較して考えたら、子育てと並行して働くほうがよっほど大変だと思う。サラリーマンを辞めてマンガ家一本に絞ったほうがいいのかも、と思う時期もあったのですが、その都度、サラリーマンとして面白い仕事にあたるんですよ。そのせいでやめる機会を失ってしまった感じでしょうか。今やっている大学での仕事、人にものを教える仕事も面白いですよ。10代の人と話をしながらギャグマンガの構造を解説するためには、僕自身が何を面白いと思うのか、整理できていないといけない。教えることによってこっちが気付いたことは山ほどあります。次は3DCGソフトを勉強して立体モデルを画像化したものをコマにはめ込む漫画を作りたい。要はピクサーのパロディがやりたいんです(笑)」

田中圭一 たなか・けいいち 大阪府出身。'84年に「ミスターカワード」で漫画家デビュー。代表作に「ドクター秩父山」、「神罰」、「サラリーマン田中K一がゆく!」など。会社員との兼業漫画家としても知られる。現在は京都精華大学のマンガ学部 マンガ学科 ギャグマンガコースで教鞭をとる。

田中圭一

 小宮山雄飛です。今回、田中圭一さんに出ていただくにあたり、ご著書の『神罰』を読んでブッ飛びました、手塚治虫風のというより、手塚治虫の完コピと呼ぶにふさわしい画風で繰り広げられるシモネタのオンパレード。しかもそのシモネタが完全に振り切ったものばかりで、ねっとりとしたそのエロスの雰囲気とは裏腹に、読み手はむしろすかっとした、ある種の爽快さすら感じる作品でした。
この作者の人は一体どんな人なんだろう?と調べてみると、サラリーマン漫画家として二足のわらじで活動していたと知り、サラリーマンと漫画家、手塚とエロス、、、なんだかわからないけど、とにかくすごい両刀使いの方だなと思い、いつか直接お話を聞いてみたいなと思っていました!

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