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ヨシダナギ

ヨシダナギ

撮影/Jan Buus
取材・文/宮崎新之

ヨシダナギ

ヨシダナギ

 自らの仕事を「アフリカ人からもらった」という、ヨシダナギさん。幼少のころからアフリカ人に憧れ、世界中の少数民族を色彩豊かに撮影し、高い評価を得ているフォトグラファーだ。文字通り裸一貫となり、現地の人と親睦を深めていくスタイルも話題を呼んでいる。少々気難しい民族であっても、まるで家族のように迎え入れられている印象だ。

「私としては特にアフリカの人と家族になりたいとは思っていません。仲間になりたい、とは思いますけど。部外者という枠は飛び越えたい。でも、アフリカの人たちってすごく簡単に『もう家族だね』なんて言うんですよ。アフリカでは、近所の人が家に普通に上がってきて冷蔵庫を勝手に開けたり、ソファでくつろいでいたりするんですが、家族になったら私の宿泊先のホテルだって同じ感覚(笑)。でも、くつろぐだけじゃなくて、ちゃんと家事とかの家のこともやっているんですよね」

ヨシダナギ

 ひとたび家族になってしまえば、その距離感は驚くほど近い。

「うっかり携帯の番号を教えてしまうと、用もないのに何度もかかってきたりして(笑)。出てみても『元気か? 元気ならいいんだ』ってだけ。それが1日に何回もかかってきたりする(笑)。でも別れの時はドライ。背中が見えなくなるまで見送るなんてことは全然ない。どこか、また会えるなんて思っているのかもしれません。アフリカでは戦争だったり病気だったりで、死という別れが私たちよりも身近で、別れは、もはや日常なんです。だから意味もなく、私を思い出したらどうしているか確認したくなるのかも」

 日本では、血縁や結婚といったものによって家族というコミュニティが作られていく。だが、アフリカの少数民族ではもっと大きなくくりで家族が捉えられている。それは、家族が命をつなぐ糧だからだ。

「一部の少数民族は一夫多妻制です。とはいえ、普通に考えて10代の娘を70近い男の家に嫁がせたくはない。でも生きていくにはしょうがないんです。生きるために基本的には協力していますが、新しい妻はイジメられがちですね。第1夫人はもう年を取っててあんまり気にしてない場合が多いですが、年の近い第2、第3夫人は、自分の食い扶持が変わることが気になりますから」

 日本では想像もつかない家族関係。そんなアフリカの家族を目の当たりにしてきたヨシダさんは、家族をどのように捉えているのだろうか。

「基本的には、私は人間関係においてギブ&テイクを求めるタイプ。でも、家族となると、それはなくなりますね。例え見返りが無くても、何かをしてあげたいと思える。あと、私のネガティブな部分を受け入れてくれる。そういう相手が、家族なんだと思います」

ヨシダナギ

 家族関係が希薄になりつつある現代日本だが、家族の仲を深めていくにはどのようにすれば良いだろうか。

「普通のことですけど、やっぱり1年に1回だけでも顔を出し、笑顔を見せてあげることだと思います。アフリカの少数民族の中に入っていくときも笑顔は大切で、笑顔でいると受け入れてもらえるものなんです」

 ヨシダさんがアフリカに行く際、必ず用意しておくものがある。

「親に遺書を書くんです。と言っても悲しい遺書じゃなくて、とにかく親に『ありがとう』だけは伝えたくて。もし、私が死んだら親はアフリカを恨んじゃうかも知れない。でも、私はアフリカで死んでも本望なんだよ、ってわかっていてほしいんです。結局、なんで家族なんだろうって考えても、とりあえず好きだから家族なんですよね」

 好きだからわかってほしい。きっと、どんな家族も好きから始まる。

ヨシダナギ 1986年生まれ。フォトグラファー。独学で写真を学び、2009年より単身アフリカへ。アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影。近著に写真集『SURI COLLECTION』(いろは出版)、『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(扶桑社)など。

撮影/Jan Buus 取材・文/宮崎新之

ヘアメイク/YOUCA