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 仕事は大事。でも仕事がうまく行かないとポッキリ折れてしまう。そんな働き方はつらい。また、仕事を豊かにするためにも、仕事以外の自分の居場所というのは大事だ。人生は、仕事をするためにあるのではない。幸せになるために人生はあるのだ。著作『人生の<逃げ場>―会社だけの生活に行き詰まっている人へ』で、東京工業大学の上田紀行教授が説くのは、人生を豊かにするための「逃げ場」を持つことのすすめ。上田先生はとにかく「1年のうち、2週間続けて休む」「2週間休めないなら、まず1日の休暇を。それでも休みにくいなら海外旅行を決めて完全に休まなくてはいけない状況を作るのも一つ」という。この海外への旅は「転地療養」の一種であるが、これが新しい仕事を生んだ経験が上田先生自身にある。80年代に文化人類学のフィールドワークで滞在した2年間のスリランカでの生活だ。
「野球に例えるなら自分が今までバッターだったことに気がついたんです。日本では、投げられた球を器用に打ってきた。でも、スリランカでは、バッターボックスに立っていても誰も投げてくれない。自分で球を投げ込まないと試合が始まらない、ということに気づいたのです」
 帰国した上田先生は『スリランカの悪魔祓い』という著作で「癒し」という球を日本の社会の中に投げ込んだ。90年代以降、社会を写すように普通名詞になってしまった「癒し」という言葉は、外の世界から日本を見たことで得た転地療養の賜物であった。休暇という「逃げ場」が非日常の効用だとしたら、日常の「人生の逃げ場」は、家族や共同体にあると上田先生は言う。
「去年は3人の子ども(10歳、5歳のふたご)たちを連れて北海道に10日間行ってきたのですが、うちは共稼ぎで、子どもも普段は夜の子ども
たちの顔しか見ていない。でも、24時間×10日一緒にいると、こんな子だったのか! と大きな発見がある。家族は一番近いと思っていたけれど、実はよく知らない部分もあり、社会の遠近感が狂っていたことがわかった。子どもを持つのは大変です。でも仕事がうまくいかない時期、ぼくは意識的に子どもといる時間を増やしてきました。そうすることで、追い詰められた気持ちが治まる。“子どもは成長しているし、いいじゃないか”と。また、子どもを持って初めて地域社会という逃げ場に入門できる。地域に根をはることで、愛郷心がわきます」
 先年、母を看取った。推理小説の翻訳家として活躍した上田公子さんは一人息子の先生がまだ2歳の頃、小説家志望だった父が失踪したあと、女手一つで上田を育てた女丈夫でもある。
「母を看取ったことで人生には最後までドラマがあるし、後に残る人に
何かを与えることができるとわかりました。“逃げ場”とは少し違いますが、人の生死に関わると、仕事も含めて、常にどう生き、どう死んでいくのかという問いかけ、複眼的な視点を持つ大切さを教えてくれる。それは亡くなった人が、生きている人たちに贈る大きなギフトです」
 来春、東京工業大学ではリベラルアーツに関する大規模な改革をする。理系の大学だが自分の学習計画を下に、全員が教養論文を書くことになるという。
「単線化して、専門だけをやるというのは一見効率的に見えますが、本当にそうでしょうか。お釈迦様のいう生老病死の苦しみ、生きることだ
って思い通りに行かないから“苦しみ”ですよね。思い通りにいかないときにどうするのか。教養はそういう時役に立つ。ここに引き出しがあってよかった、という人間の幅を広げておくことは大事だと思います」
 そう、逃げ場というのはよりよく生きるための大切な余剰なのだ。

上田紀行 1958年生まれ。東京都出身。文化人類学者。現在、東京工業大学リベラルアーツセンター教授。宗教や癒しについて研究。最新著書は「人生の<逃げ場>会社だけの生活に行き詰まっている人へ」(朝日新聞出版)。

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