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小宮山雄飛

小宮山雄飛の〈音楽〉

ホフディランのボーカルにして渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダー。「TORANOMON LOUNGE」のプロデュース、食関連の番組レギュラーや雑誌連載も担当するなど幅広く活躍。
詳しくは「hoff.jp」へ!

音楽その1

2015.1.20

世界の国からコンニチワ、小宮山雄飛です。
僕の本業はミュージシャンですが、あれこれ色んなもの好きな性格がこうじて、ラジオのパーソナリティだったり雑誌連載だったりTシャツデザインだったり、webのプロデュースだったり、気づけばほんとに色んなことを日々楽しくやらせてもらってるわけです。

しかしそんな僕が、40歳にして今一度本気で『音楽』について考えてみる。
そういう連載です、これは。
コラム形式で書くときもあれば、ゲストを呼んで対談したり、どこかに取材に行くときなどもあるかと思いますが、とにかく色んな角度から『音楽』というものの正体を掴んで行こうという試みです。

でも、先に言ってしまいますが、多分『これが音楽だ』なんていう結論は出ないと思うんです、絶対。
そういうたった一つの結論がないからこそ、いろいろな角度から『音楽』を考えてみることで、目に見えない『音楽』というものの輪郭がなんとなく浮かんでくればいいなと思ってるのです。

コウモリって視力が弱い分、超音波を飛ばしてその跳ね返りでそこにどんなものがあるか分かるっていうじゃないですか(反響定位というらしいです)、あんなイメージなんです。
目に見えない『音楽』というものがそこにあるとして、周りの色んな角度から考え、色んな角度からの人の意見を聞いていくことで、そこにある『音楽』というものの姿が浮かび上がってきたらいいなと。

もともと僕がこの「音楽ってなんなんだろう?」という大きなテーマを考え始めたのは、今からさかのぼること15年前の1999年でした。
その年、僕は音楽活動を半年お休みして世界中に旅に出ていました。ホフディランが武道館公演をした次の年です。デビューして3年目、トントン拍子で武道館まで上がってきて、普通に考えたら一番忙しく仕事をしなくちゃいけない時期ですが、僕はデビュー前から心に決めていた<2~3年したら一旦休んで世界を旅する>という計画を実現したのです。
今にして思えば事務所から「バカヤロー!今が稼ぎどきだろ!」と一蹴されてもよさそうな、26歳の若者による無計画な旅のプランですが、「いい人生経験をしてきな」と快く送り出してくれた当時の事務所やレコード会社の人たちには本当に感謝です。

その世界旅行の際に滞在したニューヨークでのことです。
子供の頃に家族で来たことはあったのですが、大人になって、しかも一人でニューヨークに来たのは初めて。まさに何もかもが刺激的で、毎日美術館にライブに街散策に、寝る間も惜しんでニューヨークの空気を満喫していました。

そんな中、地下鉄の駅構内で見かけたストリートミュージシャンに衝撃を受けたのです。

ニューヨークの地下鉄には沢山のストリートミュージシャンがいます。駅前の広場なんかはもちろんのこと、駅構内の階段の踊り場、さらには電車の車両の中まで、いたるところで様々なミュージシャンが演奏してます。
ギター1本でPOPソングをすごいアレンジで弾くおじさん、バイオリンでクラシックを独奏する女性、見事なドラムのたたき語り(?)をする少年、車内を歌いながら歩きまわるアカペラコーラスグループ、とにかく色んなタイプのミュージシャンが、チップという収入と自身の売り込みを兼ねてあちこちで『音楽』を奏でてます。

そこで衝撃を受けたのが、そんなミュージシャンたちの誰もが、本当にウマイのです。僕自身を含めた日本のプロミュージシャンより全然うまいストリートミュージシャンがわんさかいるのです。そのまま普通にプロのギタリスト・ドラマー・ボーカルとして通用するような人たちが沢山ストリートでプレイしているのです。

日本で路上ライブというと、学生やまだライブハウスでライブができない新人がスキルアップもかねてやるようなことが多いですが、ニューヨークではそういった若者の発表の場という感じはありません。

そんな凄腕のパフォーマーたちを見て「ミュージシャンってなにを指すんだろう?」と思ったのです。

僕はもちろん自分をプロのミュージシャンだと思ってましたし、それなりの活動をしてたわけですが、確実に目の前のストリートミュージシャンの方がスキルが上なのです。もちろん音楽はスキルだけが全てではないのですが、これは音楽だから起こるようなことで、スポーツとかなら絶対ないと思うんですよ。例えばプロのバスケ選手よりも、街中でバスケやってる青年の方がうまいとかね、絶対ないでしょ。プロの方が絶対うまいんですよ、だからプロなんですよ、スポーツの世界では。

でも音楽に関しては、必ずしもそうではない。
プロの方がうまいってことはない。

また一般的な日本人の感覚でいうと、CDを出してライブやTVなどで活躍してるミュージシャンの方が、駅の構内でプレイしてるストリートミュージシャンより「上」と認識されてるし、そもそも路上でプレイしてる人をミュージシャンという捉え方すらしないかもしれないですよね。
例えば週末だけ路上ライブをやってる学生が自分のことを聞かれて「自分はミュージシャンです」と答えるでしょうか?
「自分は学生で、週末にはバンドもやってます」みたいに答えるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えた時に
「ミュージシャンってなにを指すんだろう?」
「音楽をやってるってどういうことなんだろう?」
と思ってしまったわけです。

日本において自分を「ミュージシャン」と呼ぶ人は、おそらくプロ=それで生活している、という感覚でいると思うのですが、はたしてそれだけがほんとに「ミュージシャン」でしょうか?

例えば子供の頃からずっと楽器をやっていて、それこそプロ級のスキルを持っていても音楽を仕事にしていない人は「ミュージシャン」ではないんでしょうか?
その人が「ミュージシャン」ではなくて、バンド始めて1年でたまたま事務所の力でCDデビューしたなんて人が「ミュージシャン」と呼べるでしょうか?

でも少なくとも日本ではそうなってるのです。

つまり日本で「ミュージシャン」という言葉は、単純に職業を示すものなのです。
趣味で音楽をやってる人は「ミュージシャン」とは呼ばない。

実はこれが「音楽」の本質をすごく見えづらくしていると思うんです。

日本では「ミュージシャン」が職業を指すのと同じように、「音楽」というものはほとんどの場合広い意味でのポピュラーミュージック、もっと言えばメディアに「流通」している音楽を指すんですね。

極論を言えば、ミュージシャンが仕事であるように、音楽は商品であるということです。

「音楽好き」「音楽マニア」という人にどんな音楽が好きですかと聞いて、「雅楽」とか「長唄」と答える人はほとんどいないでしょう。人数の問題ではなく、そういう音楽が好きな人はたぶん「音楽好き」ではなく「伝統芸能好き」とか、あるいはそのまま「雅楽好き」とか「長唄好き」と呼ばれると思うんですよ。
つまり、今日本で使われる「音楽」という言葉はポップ・ロック・ジャズ・クラシック・演歌・・・・などなどジャンルは色々あれど、一般的に「流通」している音楽、つまりは商品を指してるんですね。

でも実際にはこの世には商品になっていない音楽がたくさんあります。

今挙げた雅楽や長唄もそうだし、お母さんが子供に歌って聞かせる子守唄だってもちろん音楽です。
そう考えると我々にとって、一番最初のミュージシャンはお母さんだったりするのです。
さらに言えば、一番最初に接するビートは、生まれる前にお母さんの胎内で聞いた心臓の音でしょう。
(実際、心拍数に近いBPMの曲が人が一番すんなり受け入れるなんて話もあります)


このコラムではそういう、本当の「音楽」の正体に迫れればと思ってます。
どうぞ皆さん、これからの長い旅におつき合いください。

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