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田嶋陽子

田嶋陽子

田嶋陽子

撮影/野呂美帆
構成/大道絵里子

女性学研究家としての顔、そして歌手としての顔。

田嶋陽子さんに、お話をうかがった。

 田嶋陽子さんといえば、討論番組などでどんな相手にもひるまず、舌鋒鋭く斬り込んでいく勇ましい姿が目に浮かぶ。大学教授、タレント、政治家と立場は変わりながらも、女性学研究の草分け的存在として常に女性の社会的地位向上を訴え続けてきた田嶋先生。なぜ女性学研究家に? 女性学ってなに?
「女性学というのは、フェミニズムという思想を背景とした学問。私は5歳のときに母親から『女らしくしないとお嫁のもらい手がないよ』と言われて『それならお嫁になんか行かない』と答えて以来、女に生まれたことの不自由さに苦しんできました。勉強はできたし、絵や書道やテニスでは市や県の賞をもらい、読書感想文は全国で入賞。母が寝たきりの病人だったせいもあって、私の夢は世界一の外科医になって小説を書くことだった。でも中学のとき尊敬していた先生から『女はメンスが来たら終わり』と面と向かって言われて、ショックを受けたんですね。女であることの劣等感に絶望。共学にも行かせてもらえず、女子校へ進んだ私は外科医になることを断念しました」

田嶋陽子

オリジナリティを磨き

育てる面白さと

苦しさを学んだ

「それでも何か新しい世界へ行きたかった。放課後は図書館に入りびたり、手当たり次第に本を読み漁りました。そんな中で津田塾出身の神近市子や藤田たきなど素晴らしい女性たちを知り、津田塾大学への進学を決めたんです。大学では生まれて初めて私を面白がってくれる先生たちと出会った。そこで失っていた自信を取り戻し、自分のオリジナリティを磨き育てる面白さと苦しさを学びました。卒業後は大学の専任教員の職を得てイギリスにも留学。私の英文学研究は学会で評価され、順風満帆な研究人生を歩き出したかのように思えました。ところがなぜか私の魂は癒されなかった。結局、いくら学会で評価されても、男性中心に組み立てられた学問体系の枠内にいるに過ぎなかったから。そこで、思い切って女性学の視点からイギリス小説を読み直してみました。すると男中心の社会で、自由を求める女は常に社会から弾き出されたり罰を受けたりしていることが見えてきた。その時、私の研究と女に生まれたことの苦しみがリンクしたんです。研究論文を書くことが私のセラピーになり、女性学の視点から本を書くごとに魂が鎮められ、解放されていきました」
「自分が何者か分からずに苦しんでいた私を救ったのは女性学という学問だった。そこで気づいたのは、私を苦しめた人たちも当時の社会の代表的な価値観で生きているだけであって、社会が変われば変わるということ。それを理解したとき、女性を一人前の人間と見ないような社会を変えるのが私の役目だと思うようになりました。最初に私がバラエティ番組に出たとき『大学教授が笑いものになるなんて』と怒る方や、心無い言葉を浴びせる人もいた。今は女性もちゃんと働きだして世の中が変わってきたけど、私が積極的にメディアに出たことも一役かってると思っているんです。私は20年早かったんだね(笑)」

やり始めたら

自分の挑戦心に

火が点いた

 アハハハと笑う先生の声はハリがあって明るくて魅力的だ。60歳で大学を辞め、63歳で議員を辞めて、64歳から始めたのはなんとシャンソン。現在は月に何本もライブ出演をこなす。
「長年、週末は軽井沢で過ごして自然に癒される生活をしてきましたが、ひょんなことから町おこしを手伝うために歌を習い始めたんです。やり始めたら自分の挑戦心に火がついて、五ヶ月後にはリサイタルをひらくことにした。歌なんて中学生以来なのに無謀だよねぇ(笑)。人からお金もらうのになんだ、と言われないように七転八倒ですよ」
女性学研究家とシャンソン歌手。その響きが持つイメージは一見、真逆にも思えるが、田嶋さん自身の中に、矛盾はない。
「シャンソンの歌詞ってロマンチックなように思えても、背景にあるのはフランス革命とか人権問題とか差別に関する血なまぐさいものだったりする。だから私が歌いたいのは反戦歌なんですよ。集団的自衛権にはすごく反対なんだけど、それを歌でも表現したいし、できれば聞いた人にもその気持ちが伝わって欲しい。だからシャンソンも田嶋陽子の表現の一つに過ぎないんです。ただ、今までと大きく違うのは、綺麗なドレスを着て、つけまつげをつけるようになったことだね。ここが昔とは違うところ。つけまつげのつけ方は、だいたい二年くらい練習しました(笑)」
「『スーツで歌えば?』という人もいるけど、ライブは毎回、清水の舞台から飛び降りるような気持ち。それくらい変身しないとやってられないんですよ。
 シャンソンの大御所の方が言っていましたけど、シャンソン界は長寿村だそうです。先日、あるコンクールで80幾つの人が『枯葉』を歌ったら審査員が泣いちゃった。要は、魂で歌うことができれば年齢なりの味が出るってこと。私もそんな歌手になりたいなと思って。それとね、100歳を過ぎると命を使い果たすから死ぬのが楽なんですって。だから、ゴハン食べて『あ~おいしい』と言って、次の瞬間『あ』って死ぬこともある。私も『枯葉よ~』と歌いながら『あ』って死ねたら最高ですね(笑)」
 小宮山雄飛です。田嶋陽子さんといえば、僕らの世代では、討論番組への出演もそうですが、「見ーてーるーだーけー」の台詞で流行ったニッセンのCM出演や、伊丹十三監督の「スーパーの女」での買い物主婦として出演したり、バラエティ番組でのタレント活動、そしてもちろん議員としてのご活躍と本当に見かけない日がない存在でした。ちょっと比べるのもおこがましいですが、僕もラジオやテレビのMCに雑誌連載、webのデザイン制作など、今、ミュージシャンという本業以外の仕事が増える中で、田嶋さんの「シャンソンも田嶋陽子の表現のひとつ」という言葉がすごくしっくりきました。周りから見ると色々やってるようでも、本人にとっては形こそ違えど、実はその全部が本職なんですよね。

田嶋陽子

田嶋陽子 たじま・ようこ 静岡県出身。元法政大学教授。元参議院議員。女性学研究家、英文学者、フェミニズム(女性学)の第一人者として、またオピニオンリーダーとして、マスコミなどで活躍。2008年からはシャンソン歌手としての活動を開始。シャンソンライブハウス「蟻ん子」などで歌声を披露。

撮影/野呂美帆
構成/大道絵里子