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小宮山雄飛

小宮山雄飛

小宮山雄飛

撮影/野呂美帆
取材・文/安達 薫
取材協力/渋谷「ブルゴンディセ ヘイメル(Bourgondische HEMEL)

居酒屋で、ミュージシャン・小宮山雄飛が自分自身を語る新連載。

第1回は、ホフディラン結成、そしてデビューまで。

 幼い頃の音楽体験は?
「至るところに楽器と音楽があるような家で、幼稚園からピアノを習っていました。歳上のいとこの影響で、小学2、3年生くらいからダリル・ホール&ジョン・オーツとか、80年代の洋楽を聞き始めて。小4のときにテレビで2組のアーティストをPVで戦わせるという謎の番組があって(笑)。大きく影響を受けましたね。それでマイケル・ジャクソンのシングルカットされる前の『スリラー』や、ビリー・ジョエルの『あの娘にアタック』を知って、ハマりました」
 そんな小学生時代を経て、中学生になって曲作りを始める。
「中学2、3年のときにカセットに録音するMTRという機材や、シンセサイザーなど一式を買ってもらって。でも、何でも途中で飽きちゃうんです。だから、曲はできたけど歌詞は付けないまま終わったようなデモテープがたくさんありました」
 こうして洋楽オタクの小・中時代が、自らのクリエイションへと昇華され始める。

小宮山雄飛

そこでボーカルを

やっていなかったら、

今、歌っていなかったかも。

 高校ではどんな音楽活動を?
「友達のカバーバンドに誘われて。ピアノをやっていたので、キーボードで誘われると思ったら、たまたまボーカルで誘われたんです。そこでボーカルをやっていなかったら、ホフディランで歌っていなかったかもしれない」
 そこではどんなアーティストのカバーを?
「周りはプリプリやジュンスカをカバーしていましたが、僕らはガンズ・アンド・ローゼズやポイズン、ボン・ジョヴィとか、80年代のヘビメタやハードロックを。でも家に帰るとプリンスとか、ポップスを聴いていました。高3のときにヒップホップやサンプリングなどのクラブカルチャーが入ってきて。その頃からは、学校外のアマチュアミュージシャン繋がりで『こんなの作ってる人がいるんだ』って、デモテープを聴かせ合ったりしてた。そのときに仲よかったのがm-floの☆Takuとか。渡辺くん(ワタナベイビー)とも、世代は違うけど、大学のとき同じような感じで出会いました」
 デモテープを媒介した音楽好きのつながりが、ホフディラン結成のきっかけとなった。
 そして、アマチュアミュージシャン界隈で出回っていたワタナベイビーのデモテープを、世の中に最初に紹介したのは、意外な人物だった。
「『おもしろいヤツがいる』って、小沢(健二)くんとスチャダラパーが、当時やっていたオールナイトニッポンで流したんです。それを聴いたTOKYO No.1 SOUL SETの川辺(ヒロシ)くんが、渋谷クラブクアトロでメジャーデビュー記念ライブをやるときに前座として使おうって言ったんだけど、渡辺くん1人だけだったからライブができない、と。それで急遽集められた中の1人が僕だったんです」
 初期ホフディランの始まりだ。
「そのときのホフディランは6人編成。渡辺くんと同級生で、僕のいとこのシンゴスターがベースで、その周りにいたかせきさいだぁの加藤(丈文)くん、タケイグッドマン(映像監督)、シャシャミン(イラストレーター)がコーラス隊みたいな感じで。もともと渡辺くんが1人で“ホフディラン”を名乗っていたんですけど、『ホフディランのバラッド』という曲をオープニングでやりたいがために、バンド名も“ホフディラン”にしたんですよ。一時期は真心ブラザーズのYO-KINGもギターで参加することがありました」

小宮山雄飛

この人と一緒にやればOK。

僕も当然スターになれる

って思っていました。

 作詞作曲と演奏のできる2人が、デビューのタイミングで正式メンバーとなる。
「渡辺くんのデモテープが受け入れられなかったら、デビューもしていないだろうし、自分で作詞作曲していなかったかもしれない。そういう意味ではワタナベイビー様様なんですよ。あの当時の渡辺くんは特に天才でしたからね。たぶん相当みじめな学生生活を送っていて(笑)、1人で黙々と曲を作って、デモテープ作りだけが楽しみで。モテたいとかそういう気持ちが全然なくて、ピュアで。僕は渡辺くんの影響でデモテープを作るようになりました。渡辺くんのデモテープを聴いてこの人と一緒にやればOK、僕も当然スターになれるって思った」
 同時期には別名義のバンドでも活動。
「僕が作ったデモテープは、大学の同級生の(堀内)順也と一緒にユウヒーズというバンド名で、ナチュラルファウンデーションというインディーズのレーベルからアルバム『YUHI BEER』をリリースしました。ホフの方が先にポニーキャニオンと契約していたのですが、インディーズの方が動きが速いので、結果的にリリースが先になっちゃった。そのときは渡辺くんの曲をやるのがホフで、僕の曲をやるのがユウヒーズっていう感じ。シングルの予定だったんだけど、結局フルアルバム以上になった(笑)。今だと考えられないですよね」
 ユウヒーズはその後もアルバムリリースやライブなど、折々に活動を続けている。
 そして1996年、ホフディランはワタナベイビー作詞作曲のシングル『スマイル』でメジャーデビューを果たす。
「1stアルバム『多摩川レコード』から僕の曲が入るようになりました。僕が初めて歌詞まで書いた曲がすぐに世に出たから、渡辺くんはそれを今だに根に持っていて。渡辺くんが書き貯めた曲は、ずっと後にしか認められなかったから(笑)」
 約20年前の自分の曲を振り返るとどう感じるのだろうか。
「曲は変わらないですが、歌詞は、衝動のまま、自由に書けていたからラクでいいなぁと思います。今は言葉を選んでしまってなかなか書けない。最近書いている曲もすごくいいんですけど、歌詞はシンプルになってきていますね」
 そして、デビューから2001年までの間、ポニーキャニオンからのリリースが続く。

小宮山雄飛 こみやまゆうひ ホフディランのボーカルにして渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダー。「TORANOMON LOUNGE」のプロデュースなど幅広く活躍。ライブ情報など、詳しくは「hoff.jp」へ!