FILT

佐藤 ご著書『なぜ生きる意味が感じられないのか』の冒頭で、患者さんの悩みが時代と共に変わってきたと書かれていました。そこから聞かせていただけますか。
泉谷 はい。20年ほど前までは「認めてもらえない」「思い通りにならない」というような執着系の悩みが中心でした。それがここ数年は「毎日つまらない」「何をしたいかわからない」という実存や空虚感にまつわる悩みが中心になっています。温度の高い悩みから温度の低い悩みになり、周りを巻き込むことなく、ひっそり消えようとする人が増えている印象です。
佐藤 温度の低い悩みにどうアプローチをしていくのでしょうか。
泉谷 そういった悩みを持つ方は衣食住の心配はないわけです。ある種、飽和状態なんです。では満たされた状態からどこに向かっていきたいのか。そのベクトルを向ける先を一緒に探っていくことになりますね。
佐藤 動的な指向性を持たせる。
泉谷 憧れや、それに足るものへ。僕自身は「美」と「真理」、それらを総括する「愛」が人間ならではのベクトルの対象だと思っています。でもそれはスマホをいじっていて見つかるものではないと思うんです。少し頑張って探さないと、本当に良いものには出合えない。

佐藤 すぐに役立つことはすぐに陳腐化します。10代の患者さんにサルトルの『嘔吐』を薦めて良い効果があったというエピソードを書かれていて、なるほど、と。
泉谷 一流大学を出ていても教養や文化に触れてこなかったという方がたくさんいます。大学が就職のための予備校化しているといわれて久しいですが、知的好奇心、人間や世界への関心が育っていないのは問題ですね。
佐藤 泉谷さんは音楽への造詣も深いですよね。音大に進もうとは考えなかったんですか。
泉谷 親に大反対されたので、医学部に合格したら音楽の勉強をさせてくれと交換条件を出したんです。それで医学部に通いながら、個人的に作曲家の先生に師事して必死に勉強しました。
佐藤 医学と音楽の両立は日本だと珍しいイメージがあるかもしれないけれど、国際的に見るとお医者さんでも主専攻と副専攻で違うジャンルを学んでいる人はいます。それに音楽って海外では数学に近い扱いでもありますから。
泉谷 そうなんです。ふと頭にフレーズが浮かんで曲ができるなんて嘘ですよ。建築と同じで、数学的な知性で構築しなければならないものなんです。
佐藤 泉谷さんの文章の読みやすさ、視野の広さの秘密の一つは、きっと音楽理論を学ばれたことに関係していると私は見ています。

佐藤 提唱されている「頭」と「心=身体」の関係図にも感銘を受けました。
泉谷 患者さんとの対話の中で生まれた図です。「頭」はコンピューター的な情報処理を扱う進化的には後から発達してきた部位。「心=身体」は野生や自然の原理を持っていて、そこに密接に繋がっている。人間をこの両者のハイブリッドとして捉えているのですが、現代は「頭」の比重が大きくなりすぎて「心=身体」が軽視され、全て科学やデータで置き換えられるのではないかという、ある種の理性の奢りに偏っているように思えます。
佐藤 そして人間は脳であると考える精神科医は、患者の心理的問題を探ることなく、ゆえに対話もなく、脳の分泌物をただ精神薬でチューニングしようとする。
泉谷 僕のところに来る方は、そういった薬物療法で治らなかった人ばかりです。同業者すらも時々受診しに来ることがあります。のちに「自分は患者さんを本当に治せてはいなかった」と、自分のクリニックを畳む決意をした方もいます。

泉谷 自分がうつになって、患者さんに出していたような薬を飲んだけど効果がなく、いろいろ調べて私のところへたどり着いた経緯の方で。
佐藤 人間の生き方として立派ですね。
泉谷 誠実な方だからこそ、うつになってしまった面もあるかと。私もかつては薬物療法や入院療法など、さまざまな治療を行ってきましたし、それらの効果をすべて否定するつもりはありません。ただ、真の原因を探らなければ解決はできませんし、原因を探るにはその人の心の歴史をたどる必要がある。歴史は言葉で刻まれていくものだと思うので、私は一番根源的な力を持つであろう、対話による精神療法に絞ることにしたんです。

佐藤 優 さとうまさる 作家。1960年生まれ、東京都出身。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。第68回菊池寛賞受賞。本連載をまとめた対談集『天才たちのインテリジェンス』がポプラ社より発売中。

佐藤 最近日本でもやっとオープンダイアローグ(フィンランド発の対話を中心とした精神療法)などが注目され始めましたが、泉谷さんはずっと以前からやられていた。それとご本を読んでいて、泉谷クリニックにやってくる患者さんは“普通の人”だと感じました。むしろいまの時代に何も不具合を起こさず適応できているほうが異常事態で、現代への適応は実は麻痺なのだと。
泉谷 おっしゃる通りです。悩みの原因の多くは生育歴に由来するものですが、いらっしゃる方は代々続いてきた家系や家族のゆがみを一身に背負った代表者のようなもので、解決者としての力を持った人たちなんです。本当に病んでいる人や問題のある人ほど無自覚で、他者を傷つけているケースが少なくありません。そのような人を本の中では「ロゴス・クラッシャー」と表現したのですが、彼らには人間を人間たらしめている「ロゴス」が通用しない上に、まわりのロゴスも自覚なしに壊してしまう。こうして「ロゴス」を壊された側が自信を喪失したり、うつになったりしている実情も少なくないのです。

佐藤 ヨハネの福音書の冒頭も「はじめにロゴスありき」です。ロゴスは神であり、バランスであり、言葉であり。
泉谷 ええ。私は人が人として持っている共通認識のようなものを「ロゴス」と捉えていますが、「言葉」と訳されることも多い。
佐藤 言葉は大事です。『精神の生態学へ』を書いたグレゴリー・ベイトソンは精神病棟の勤務経験からダブルバインド(二重拘束)の概念を提唱したことで知られていますが、人類学者で生態学者で数学者でもある面白い人で、「キューバ危機とタコの喧嘩の類似性」に関する論文なども書いているんですよ。言葉を信用できなくなった国家間関係の行動はタコの喧嘩と同じプロセスをたどる、と。カワウソも同じだったかな。
泉谷 面白いですね(笑)。政治や国際関係にしても、問題の根本にはロゴスの危機があると思っています。例えば微妙な問題に関して、賢者ほどさまざまな配慮やバランス感覚から安易に断定しないものですが、ロゴス・クラッシャーは強い言葉で即断する。彼らは自分が世界の中心であり、全知全能の神であるかのような自閉的世界観の中で生きていますから、躊躇がない。

泉谷閑示 いずみやかんじ 精神科医。泉谷クリニック院長。1962年生まれ、秋田県出身。東北大学医学部卒。パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時にパリ日本人学校教育相談員を務めた。現在、診療以外にも一般向けの啓蒙活動として、泉谷セミナー事務局主催のさまざまなセミナーや講座を開催。近著に『なぜ生きる意味が感じられないのか』など。

泉谷 しかし、よく知らない人にとっては、その短慮で強い発言がカリスマ的に見えてしまうことがある。あれだけ自信を持って言い切るのであれば信頼できるだろうと。しかしそれは大変危ない。
佐藤 たしかに。しかもそういう人たちが集団になったとき、ホンモノ独特の怖さがあります。
泉谷 彼らの行動原理としては金銭や権力、名声のようなメリットがあるかどうかなので、「頭」の価値観に偏った現代の合理的な社会と非常に親和性があるのも問題で。逆に人間らしいロゴスを持った人がその価値観の中にいたら、行き詰まるのは当然です。
佐藤 勝ち組なんていう人たちも、人間をスペック、数字でしか見ていませんから。それでうまくやれているとしたら麻痺している。「絶望こそ死に至る病である」の名言で知られる哲学者のキルケゴールも、絶望的状況にいながらそのことを感じられなくなっている「非本来的絶望」が一番深刻だと指摘しています。
泉谷 勝ち組でも上り詰めた途端に虚しくなるという方は少なくありません。そこまで行ってはじめて出てくる問題意識もあります。今回のテーマである「本当の喜び」は、「頭」の満足ではなく、やはり「心=身体」の満足だろうと思うんです。もし、何をしたら満足なのか、自分の好きなものがわからないのであれば、まずは嫌いなものを嫌いと感じる感覚から始めなければならない。自分の感情がわからない人は幼少期から嫌なことを我慢させられてきていることが多い。ちょっと嫌だな、という感覚もきちんと味わうようにする。すると、徐々に「好き」もわかるようになってくる。こうして少しずつ麻痺していた心の声を回復させていくことが必要なんじゃないかと思います。

撮影/伊東隆輔 構成/藤崎美穂 スタイリング(佐藤)/森外玖水子
top
CONTENTS