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バブルも経験をせず、終身雇用という概念も崩れ、社会の恩恵を肌感覚で感じにくい30代中盤より若い世代。まさに「右肩下がり世代」といっても過言ではない彼らは、厳しい現状の中でも新しい生き方を模索しています。「知の巨人」であり、グローバルな視点で国内外の問題を語る佐藤優がメンターとして、右肩下がり世代で活躍する人々と話し新しい時代の価値観を浮き彫りにしていきます。

佐藤 安田さんが共著で執筆をされた『ファインダー越しの3.11』は、視点が非常に印象的でした。純然たるカメラマンでも、かといって市井のひとりでもなく。カンボジアの写真もそうですが、全体を通して良き観察者として認識の主体と対象をきちっとわけたうえで、適切な距離感をもって組み立てておられますね。
安田 ありがとうございます。3.11で主人の家族を亡くし、初めて陸前高田を訪れました。当事者だけれど、私はあとから加えていただいた家族なので、完全なる当事者ともいえない。その中間の立場で取材することに対して、ずっと葛藤は持ち続けています。現場ではあまり理屈で考えず、感覚的にシャッターを切っていますが、帰ってきてから選定する作業が入ることで、一呼吸おいた距離感になるのかもしれません。
佐藤 きっと安田さんは編集能力が高いんですよ。もともと写真は動画と違って、シャッターを切る瞬間にもものすごく高度な編集作業をしていると思う。それを無意識にできることがそもそも才能なんです。
安田 いえいえそんな。でもたしかに、動画は見る人のペースに関係なく進んでいくけれど、写真は写っていない想像力の幅をもたせることができますよね。いかに行間に入り込んでもらうかが重要になるので、特に写真集や写真展になると、やはり編集の力は必要なのかも。

佐藤 写真展を開催することは、安田さんにとってどんな意味がありますか?
安田 ライブ感を求めているのだと思います。今の時代SNSでも反応はもらえますが、Facebookで「いいね」を押してくれた人がどんな表情で写真を見ているかは、わからない。見てくださった方の心にどう届き、逆に何が足りなかったか。それを知るために写真を通してコミュニケーションを築いていく。それが写真展の大きな役割と思っています。
佐藤 作家の講演会に相当するものなのかもしれないですね。
安田 佐藤さんもやはり人の前でお話をする講演会を大切にされていますか?
佐藤 参加者が積極的に情報を得ようとする意欲的な講演会や勉強会は本を書くいい刺激になります。そういう意味で、無料講演は危ない。とりあえず聞くか、という参加者が多いと、どうしても緊張感が薄くなりますから。現在、メルマガも月2回ペースで月額1000円+税でやっています。購読者数をそれほど増やす必要はないと思っているので、軽い専門的な内容も含んでいます。その代り、質疑応答コーナーでは必ずすべての質問に答えています。
安田 1000円はメルマガにしては高額ですよね。
佐藤 ええ、感覚的にネットの情報の価格は30分の1だと思っているので、書籍なら3万円くらいのイメ―

ジかな。でもあまり人数が多くても対応できないので、2000人位で丁度いいです。
安田 でもわかる気がします。ただ情報を受け取るだけってラクなんだけど、思考停止にもつながってしまう。私たち世代ってぎりぎりデジタルネイティブなんですが、ネットの表現ってどんどん短く、わかりやすく、直接的になっていますよね。
佐藤 芥川賞作家の藤原智美さんの考察で面白かったのが、SNSは書き言葉ではなく話し言葉であると。語彙数も少なく、複雑な文章構造も必要としない。SNSに日常的に触れていると、難しい文章が書けなくなるという。
安田 わかります。もちろん子ども向けの説明とか、わかりやすさが重要な場面もあると思うんですけど、「わかりやすい」って、必ずしもいいこととは思えなくて。
佐藤 人生は有限ですから、適切に整理された情報をうまく利用することも必要です。しかし世の中は元来わかりにくいものです。その複雑な現実を読み解く努力を放棄して単純

化や思考停止の罠に落ちているのが、今の大きな流れでしょう。
安田 私は父が在日韓国人二世、母が日本国籍で、ネット上でいろいろいわれたりもします。でも純粋な日本人、純粋な韓国人の境界線ってそんなに絶対的なものだろうかと疑問に思います。
佐藤 アーネスト・ケルナーの『民族とナショナリズム』を読んでみると面白いかもしれませんね。そもそも目が二つ、鼻が一つ、耳が二つある同じ感覚で、民族を捉えることが間違いで、実証的に考えてみても、250年以上前には民族という考え方はなかったという論です。いわば民族という考え方は、近代の宗教に近いとこう言っているんです。ベネディクト・アンダーソンも『想像の共同体』の中で、民族とは想像上の政治的共同体であると書いています。

佐藤優 さとうまさる 作家 1960年生まれ 東京都出身。作家。元外務省・主任分析官として情報活動に従事したインテリジェンスの第一人者。“知の怪物”と称されるほどの圧倒的な知識と、そこからうかがえる知性に共感する人が多数。近著に「いま生きる階級論」「知性とは何か」など。

7は完全数だから無限大という意味なんですよ。問題が解決しないうちは、糾弾される対象が変わっていくだけです。
安田 そうですよね。私たちが普段生活する上で、単純化や思考停止の流れに巻き込まれないためにはどうしたらいいのでしょうか。
佐藤 ひとつは論理の力を身につけることでしょう。感覚的に「おかしい」と疑惑や違和感を持ったら、そのままにしないこと。これはネズミ講やヤミ金にひっかからないようにする防衛策でもあります。韓国も、沖縄もそうですが、マイノリティは理不尽なことに対して、「なぜ?」と聞いてきましたよね。それをやめない。最近話題の『火花』も、沖縄出身の又吉直樹さんだからこそ書けたマイノリティ小説だと私は読みました。そうやって小説を読んで様々な追体験を重ねることも、思考停止を阻むと思いますよ。
安田 逆にいうと、マイノリティの抱えている問題は声を上げていくことを意識しないと届かないとも思います。
佐藤 その通りです。それと当事者性も重要です。当事者が声を上げずにいると、なんとかしようとする代理人が必ず出てくる。けれど、そこには間違いなくズレが生じます。当事者が自ら声をあげること。

それが戦争を生んだこともわかっているのに、でもいまだに克服できていない。
安田 読んでみます。気になっているのは、民族問題に限らず、そういった二項対立の意識が、若い学生たちにも浸透していることなんです。例えば安保法制反対のデモ活動の中でも、学生のリレートークの最中に「集団的自衛権に賛成」と言った学生がマイクを奪われ、その場から排除されたことがありました。排除ではなく、話し合いで解決できなかったのかと。その辺りも、新しい思考停止にならなければいいなと思いながら見ています。
佐藤 危ういですね。僕らの頃だと、「暴力反対」と書いたプラカードに釘を打ち付けて殴りかかってくるデモ隊がいました。重要なのは排除ではなく、どうしたらいいのかを議論できる関係を築くことです。そうでなければ、どのような集団であっても、マイノリティが排除されるという図式は変わらない。聖書のなかに「悪魔を掃除して追い出したら、そいつが7匹の悪魔を引き連れて戻ってきた」というエピソードがあります。

安田菜津紀 やすだなつき 1987年生まれ 神奈川県出身。フォトジャーナリスト。 16歳の時「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在カンボジアを中心に貧困や災害に取材を進める。東日本大震災以降は、陸前高田を中心に被災地を記録し続けている。

そして、安田さんのような「良き観察者」の視点もとても大事です。本に少し書かれておられたけど、小さい頃にご家族も大変な経験をされていますよね。その後、高校生のときに「友情レポーター」としてカンボジアに取材に行き、カメラの世界を知った。普通ならそこで学校の勉強なんてバカバカしくなってドロップアウトしてもおかしくないですよ。自分探しの旅に出るかスナックのママになる。そうではなく上智大学に進学するという、そのバランス感覚がすごいよね。
安田 そんな(笑)。カンボジアに行ったときは本当に何も知らなくて、でもたまたま人身売買の被害を受けている同じ年くらいの子に出会って、とてもショックで。でも無知で無力なままでは、何の役にもたちません。それどころか、無知なことが齟齬を起こしたり人を傷つけることになるとわかって、学ぶことが重要だと思い知ったんです。
佐藤 その思いが今の活動につながっている。頼もしいです。またカンボジアやウガンダの話も聞かせて下さい。
安田 ええ、ぜひよろしくお願いします。

構成/藤崎美穂 撮影/伊東隆輔
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