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 初対面の印象を左右するのは「見た目」が大きい、かもしれない。しかし、人はその人の語る言葉によって記憶されるのではないだろうか。たとえば、「正しい敬語」を使える大人は「キレイ」な印象ですが…。
「敬語は自分がどういう人間であるか示すための言葉。自分が美しく見えるための言葉です。しかし、同時に敬語は相手次第の言葉なのです。たとえば、『申し訳ございません』。これ実は“間違い”なのです。だから『正しく“申し訳ないです”と言え』と正しい敬語を話すように怒る人が世の中にはいます。一方で、“申し訳ないです”は丁寧な言い方ではないと誤解して『“申し訳ございません”と言え』と怒る人もいる。そんな時、『あなたの敬語は日本語として間違いです』と指摘したらよけいケンカになるだけ。だから、敬語の使い方が間違えていたとしても、その言い方で相手の気が済むのであれば、『申し訳ございません』と言っておこうや、ということになるんですね」
 近頃流通している敬語的な言い回しである“コンビニ敬語”の「こちらでよろしかったでしょうか」や「1万円のほうから~」は確かに敬語の形としては間違っているけれど、別に失礼なことを言おうとしているわけではない。丁寧に接しようとしているのだからそれを汲んでやったほうがいいと、言語学者の金田一秀穂先生は比較的寛容な立場を取る。
「言葉は変化していくものであり、常に過渡期なんです。とりあえず、相手を敬う気持ちを受け取る。それが精神衛生上もいいし、人間関係としても正しいでしょう。コンビニ敬語に怒るおじさんに限って『世間の流れに棹さして進め』とか言いますからね(笑)」。
 そのおじさんはきっと「世間に流されずに進め」と言いたかったのであろうが、棹さして進め、だと「世間の流れに乗っかって、どんどん流されなさい」という意味になってしまうのだ。
「毒蝮三太夫さんが言う『よく生きてやがったなこの死にぞこないのくそばばあ』。乱暴ですがざっくばらんで温かな人だと感じさせる演出効果がある。もちろん人格的な裏付けがあってこそですが。一方「~ゴザイマスノヨ」と言うおばさんは、自分を上に見せたいという気持ちがある。言葉はファッションみたいなもの。服を着替えるように今日はカジュアル、またはフォーマルと変えてもいい。言葉遣いは人と人との関係を表すもの。バリエーションがある。いつ、どこで、誰と会うのか、その様々な要素で言葉は決定される。だからこれが正解というのは、実はないのです。美智子さまが、お見舞いされる被災者の手を取って『みなさまお元気で何よりでございます、どうぞお体をお大切になさってください』。あれはとても素晴らしいお言葉ですがそのまま真似すればいいというわけでもない。美智子さまがあの場で仰るからいいのです」
『心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の心に響かない』。
 もう何十年も前のこと、当時中学生だった金田一少年は深夜放送でこの言葉を聞いたことをよく覚えている。
「当時は『ばあか』と思っていましたが、この年になると『あれ、ほんとにその通りだ!』と。いつの間にか学生にも言っている。これは聖書の言葉。つまり人は2000年前から進歩がない(笑)。結局、『そのときの自分の気持ちに誠実に言葉を出す』ことだけですね。女性がぬいぐるみに「ただいま」と話しかけたりしますよね。あれ、美しいと思います。生まれたばかりの赤ちゃんに一生懸命お母さんが話しかけるのと同じです。言葉なんてまだわからないのに。だから赤ちゃんはたった1、2年で言葉が話せるようになるのでしょう。まさに心からの言葉だから。心からの発話というのは美しい。なんだっていいんですよ。正直に言う言葉は美しい」

金田一秀穂 1953年生まれ。東京都出身。東京外国語大学大学院修了。その後、中国大連外語学院、米イェール大学、コロンビア大学などで教鞭を執る。日本の言語学者として活躍し、現在は杏林大学で日本語の美しさを生徒たちに伝えているほか、テレビなど多くのメディアでも活躍中。

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