FILT

 何かを準備をするということは、手間がかかり、苦労があり、時間が必要である。
「実は準備する時間の中にこそ、幸せがあるのではないだろうか?」その問いを抱えてお伊勢参りの旅に出た。
伊勢の地にある神宮で行われる式年遷宮は20年に一度の“神様のお引越し”「遷御(せんぎょ)の儀」を頂点にした日本最大の神事である。
「遷御の儀」の8年前からさまざまな祭りが始まり、計33もの祭りが行われる。大変な手間である。平成25年に第62回目が行われ、今は平成45年に行われる第63回に向けての準備期間である。この1300年の間、20年ごとに繰り返されてきた大祭のほか、伊勢神宮では年間を通して1500もの祭りがある。
 伊勢神宮禰宜(ねぎ)の小堀邦夫さんにお話を伺った。
「祭りの原義は、「奉る(たてまつる)」ことです。奉るもので一番多いのが、御食(みけ=食べ物のこと)。神宮では大御饌祭(おおみけさい)といって毎朝毎夕、神様に食事を捧げます。また天候を祈るために笠や簑を奉る、舞楽、楽器演奏を奉ることもあります。最大のものは、20年に一度の式年遷宮で、木の香り高いお宮を奉り神宝を奉ります」
 新しい神様の住まいを準備するためには、山から木を伐り出し、運び入れて、宮を造る。その一つひとつが祭りである。また装束の織物、刀のなどの神宝は、式年遷宮の起源である7世紀の終わりにおいて最も美しくきらびやかとされたものを寸部違わず準備するのである。技術継承にも時間がかかるであろう。そもそも、朝夕の大御饌祭をはじめ、奉る食べ物は、基本的に自給自足。神宮所有の水田で米を作り、野菜果物を作り、大変な手をかけて奉るのである。
「祭りは始まった時代の精神文化を継承するシステムです。式年遷宮の一回目は西暦690年。当時最高とされた我が国の精神文化が、20年に一度繰り返すことによって受け継がれてきた。それに触れることは日本人である限りうれしいことでしょう。また、祭りはいつの時代も共同体のものです。立派なお宮や神宝装束を個人がそれぞれの部分を受け持ちながら共に造る。それを折々に感じることは喜びでもあるでしょう」
 では、人の幸せとはなんでしょうか?
「1300年前、人間の幸せは二つでした。お米がたくさん穫れること、子孫が増えることです。自分が生きてきて、家族が大きくなった。それは非常に幸せなことです。今ですと大きなマンションでも持たないと幸せは感じられないのでしょうか…。ただ、目を閉じたときに“これで良かった”と思うかどうか。それが幸せの基準ではないでしょうか?」
 人が幸せを求める気持ちは、昔も今も変わらない。
 若い世代の参拝客も以前に比べると増え、「インターネットで調べてくるからか、参拝の作法もきちんとしている」と小堀さんは言う。
「伊勢という聖地には、森がある。その森はいわゆる原生林ではない。おびただしい人が歩き、数多くの祭りが行われた森。そう考えれば、かつて自分と同じ思いの人がここを歩いていたと思い至る。それが非常に力強く感じられるはずです。神宮という聖地は、人生の終着駅であり、再び世間へ出て行く始発駅だと考えたらいい。 自分が考えている以上に、はるかに大きな容量を持っていて、その中にはまだ発揮されていないものもある。伊勢に参ることでそれに気づかされ、力を得ることができるのではないでしょうか」
 あなたも、出かけてみませんか?

小堀邦夫 禰宜 1950年生まれ。 和歌山県出身 伊勢神宮の禰宜であり、作家としても活躍。奉職の傍ら、神宮の祭祀・歴史・神宮の教学を基本に、伊勢神宮についてさまざまな著書および講演で伝えている。

CONTENTS