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 今年の初め、撮影で京都にいるとき、宇仁貫三さんの訃報が届いた。
 宇仁さんは俺の師匠であり、この世界に入るきっかけを作ってくれた人。宇仁師匠の殺陣に憧れて、K&Uって剣友会に入ったからこそ、松田優作さんや北野武監督というステキな方々ともご縁をいただいて今に繋がるわけで、ホントに俺の原点なんだよな。だから、なんかこう……一つの時代が終わったような、そんな感じがしたね。
 師匠は『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『必殺』とかホントにたくさんの殺陣を担当してたから、ある時期から京都に拠点を移してたんだけど、京都でばったり会うと、いつも言うんだ。
「俺もまだ現役で殺陣やってるから、また現場で一緒にやろうぜ」って。
 最後の会話もそんな感じ。去年、K&Uの後輩から師匠が入院してるって知らせをもらってさ。時間見つけてお見舞いに行ったら、喜んでくれてね。「退院したらまた殺陣やるから一緒にやろうぜ」って……。それが師匠との最後の思い出になっちゃった。

 俺、京都に入って現場中だったのに、偶然にもお通夜と告別式の日は撮影がなかったの。だから二日とも顔を出せてね。息子さんから聞いた話によると、師匠はずいぶん俺のことを気にかけてくれてたらしい。北野監督の映画とか見て喜んでくれてたっていうのを聞いてさ。息子さんに「今日、寺島さんが来てくださったのを、父もすごく喜んでると思います」って言ってもらって、なんか胸がいっぱいになったよ。またさぁ、出棺の時に『鬼平犯科帳』の曲が流れるわけよ。これはちょっと……きたねぇ。いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡った。出会いのころや師匠の運転手をやってたころ、俺が役者を志して剣友会をやめたとき、いろいろ陰で言う人もいたけど、師匠は「日本一のチンピラになれよ」ってエールを送ってくれたこと……。
 あれは2004年、テレビ東京の新春ワイド時代劇『竜馬がゆく』の撮影現場だった。初めて「役者」と「殺陣師」という立場で師匠と再会したんだ。K&Uをやめて20年以上が過ぎてた。

 俺はもちろん嬉しかったけど、師匠もそう思ってくれてたのかな? そのドラマは結構な大立ち回りがあってさ。「殺陣ができない役者だと一から十まで教えなきゃいけないけど、テラが来てくれてたから助かったよ。まだまだ動けるな~」なんて褒めてくれたんだよね。その言葉を聞いて素直に嬉しかった。あんま面と向かって褒められたことなかったしね。
 それから『鬼平犯科帳』でも『剣客商売』でもお会いしたし、最後は『必殺仕事人2016』でも会った。俺もなんとか立派な時代劇に呼んでもらえるようになって、ちょっとは恩に報いた思いもあるかな。

 今はCGとかなんとかで殺陣を作ることも少なくないけど、やっぱりアナログの迫力って違うんだよな。特に宇仁師匠の殺陣はリアル。早いのに重厚感があってものすごくカッコいい。まぁ俺はもう剣友会じゃないけど、殺陣をやるときは少しでも師匠の教えを引き継いでやっていきたいと思ってる。寂しがるだけじゃなくて、向こうの世界で師匠に喜んでもらえるように残された人間が頑張ることが大切だと思うから。
 だからってわけじゃないけど……京都東映にいるときに、たまたまメイク室に新しい時代劇の台本があったのよ。監督は東映時代劇の巨匠の一人である中島貞夫監督。中身をパラパラ見てたら、かなりしっかりとした殺陣をやらないといけない剣豪の役があって、まだ役者名が空欄だった。

 しかもCGを使わない100%アナログの殺陣。で、思ったの。『これ、俺だろう』と……。
 そのとき、たまたま中島監督が食堂にいらっしゃって、それを知った俺は図々しく直談判しに行った。
「自分殺陣をやってまして、この役をぜひやらせていただきたいです」って。そしたら何日かして本当にその役をやれることに決まったんだ。言ったもんがちだよ!(笑)
 俺が直談判したとき、中島監督は「この役は松方弘樹さんにやってほしいんだよね」っておっしゃった。もちろん、もう松方さんが亡くなった後の話だから、イメージとしてって意味なんだけど。だから俺も、松方さんに恥じないよう、追悼する思いも抱えて現場に立ったよ。

寺島進

寺島 進 てらじますすむ 東京都出身。俳優・松田優作が監督した『ア・ホーマンス』でデビュー後、北野武作品で活躍の場を広げる。映画のフィールドからテレビドラマの世界でもその顔は知られるように。

 それが4月12日から公開されてる高良健吾くん主演の『多十郎殉愛記』。中島監督? いやぁ……俺ね、監督も84歳っていうお年がお年だから、正直ナイター撮影の日なんて、すぐに終わると思ってたのよ。ところが、いくら年を重ねても映画の現場に入るとスイッチが入るんだろうね。てっぺん回っても全然、元気! 俺のほうが、『おいおい、もう12時過ぎてんじゃん。まだやる!?』なんて(笑)。80過ぎの人が元気一杯なのに、こっちが元気ないんじゃしょうがねえよな。よく京都の撮影所の人が「深作欣二監督は全然OKを出さなくて『深作組』じゃなくて、『深夜作業組』だった、なんて笑い話で言ってたけど、昔の映画監督はホントにタフなんだなぁと思ったよ。
 殺陣師さんとも高良くんともディスカッションしながら、いい殺陣になったと思う。息もあってバッチリなので、ぜひたくさんの人に見て欲しいね。

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