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 コピーライター、映画監督、脚本家、CMディレクター、作家、エッセイスト、演出家、画家…。すべて、大宮エリーのやってきた仕事だ。その多様な職業遍歴を、まずは幼少時代を振り返りながら語り始める。
「ひとりっ子で鍵っ子だったからか、人とコミュニケーションがうまくとれなくて。嫌だと言えずに噛みついて歯型をつけちゃうような子でした(笑)。急所猫を噛む(笑)。ひとりで空想の中にいるのが好きだった。なのに人を手伝うのは好きで、すっぽんぽんのまま人の着替えを手伝ったり。まず自分のことやりなよ、ってね(笑)。それは今もそうかも。書くことも好きで、小さな手紙を書いては隠して、掃除の時に母に見つけてもらったりしてた。そういうのが好きでした。あと、母の絵を描いたら表彰されたんですが、鼻は緑で口は紫で。『何を意味しているのか…』って、母が泣いちゃった(笑)」
 少女の頃から一筋縄ではいかないエピソードが飛び出してくるが、その独自の感性は初めての就職の時にもいかんなく発揮された。
「もともと植物が好きで、植物園の園長か、砂漠を緑地化する研究者になりたかった。でも父が病気をしたことをきっかけに薬学部に行ったんです。けれど授業が全然わからなくて(笑)。結局、研究者はあきらめて文系就職めざしますが、33社落ちる、落ち込む(笑)。なんとか最後に受かったのが広告代理店でした。言葉は好きだったけど、好きなことが仕事になると思ってなくて。とりあえず就職して自立したかっただけなんですけど、そこは良かったですね。コピーライターをやって、テレビCMを作って…5年目あたりでこれでいいのかな?と思い始めた。ホウレンソウとかネマワシとか得意ではなく向いてなくて。会社は好きだったんですけど、迷惑かけちゃうなと思って、フリーになりました」
 フリーになってからは仕事に対する感覚も変化した。
「生きている実感がより強いというか、濃度が濃いというか。自分と社会の間に挟まっていた“会社”がなくなったので、喜びも苦しみもダイレクト。経済的な振れ幅が広い。一寸法師のお椀で大航海に出ている感じでした(笑)。自分の事務所は…お店を構えるみたいな感覚。一気に部室感が出ました。打ち合せして、思いついたことの資料とかがパッと出てくる。自分の仕事がしやすい場所は自分で作っていかないとね」
 別ジャンルの仕事に臨む。それは転職と同じことかもしれない。
「映画と演劇でも、用語も違うし、人間関係も毎回1からです。意図して転職ではなく私の場合、やるハメになっちゃう感じ。ドッジボールでたまたま球が自分めがけて飛んで来て、避けずに取っちゃって、ヤバい『私が投げるの?』みたいな(笑)」
 そうして積み重ねてきた仕事が、今、つながりつつある。
「ある方から『全部の仕事が絵につながってるんじゃない?』と言われて。どんな仕事のときも絵が浮かんでくるし、なるほどって感じて。いろいろやっているけど、いつも想いは同じで、自分が作るもので人がハッピーになってほしい。何かいいことに気づいたなとか、明日が楽しくなるような…。言葉にせずに絵に描いたエネルギーが見た人に伝わったとき、『私こういうことがしたかったんだ』って思ったんですよね」
 転職をして仕事を変えることは生き方を変えること。その仕事ぶりの中にこそ“その人らしさ”が浮かび上がると彼女は言う。
「仕事にこそ、その人の生きざまや性格が出ると思うんです。私は…効率とか結果よりも、正直に、人に誠実に思いやりを持っていたい。そうやってこれからも“美しい仕事”をしていきたいですね」
大宮エリー おおみやえりー 1975年生まれ、大阪府出身。広告代理店勤務を経て、2006年に独立。同年公開の映画『海でのはなし。』で映画監督デビュー。その他、作家、脚本家、演出家、CMディレクターなど、多彩な顔を持つ。近年は、青森県十和田市現代美術館で個展を開くなど、画家としても活躍中。ROKKOフォトグラフィックガーデンや道後オンセナートにアーティストとして参加中。最新刊に笑えるエッセイ集『なんでこうなるのッ?!』。
特集 転職時代、はじまる。
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