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 世界で初めて、小惑星のサンプルを地球に持ち帰る“サンプルリターン”に成功した無人探査機・はやぶさ。7年間、約60億kmという途方もない距離の航行を可能にしたのは、宇宙工学者の國中均さんが生み出したマイクロ波型イオンエンジンだった。
「イオンエンジンの研究を始めた1980年代後半頃、日本はアメリカやロシア、ヨーロッパに断然遅れをとっていました。企業活動であれば、他社の進んだ技術をコピーしてリスクを減らした開発を行うのがセオリーかもしれませんが、研究開発においてはオリジナリティが重要になります。そこで、それまで存在していなかったマイクロ波型イオンエンジンの研究を始めました。ただ、初めてのことなので、ノウハウはないし、参考にするものもないし、誰かに教えてもらえるということもできない。本当にゼロからの挑戦で、これはある意味、怖いことなんですよ」
 世界に類のない宇宙エンジンの研究開発。その道のりには幾多の苦難が待ち受けていた。
「もうダメだ、やめたいと思ったことが何回もあったんですが(笑)、その中でも、イオンエンジンの中和器の開発は特に印象深いですね。スケジュールもありますから、完成させなきゃいけないんですけど、どうしても間に合わない。考えて、考えて、試行錯誤して、2~3年くらいうんうんうなってたんですけど、どうしてもうまくいかなくて…。この次の試験でうまくいかなかったら、頭を下げて、アメリカ式の中和器を借りてこなきゃいけないな、とまで覚悟していたのですが、その試験でまあまあ満足がいく結果が出たので、これで見えたなと思いました。それが1998年くらいですかね。そこから一気にシステムや機体を作り上げて、2003年の打ち上げにこぎつけました」
 闇の中を進むような研究開発を乗り越えて、はやぶさをミッション成功に導いた。20年以上も研究を続けるモチベーションになったものは?
「学生時代に、イオンエンジンのような電気ロケットは役に立たない、と言われたところから始まって、新しいマイクロ波型イオンエンジンを作ることになっても、そんなものがうまくいくわけがない、と。それから、実際に機体を作り始めて、大手企業に協力を求めても、こんな怪しげなエンジンに巻き込まれて迷惑だみたいな顔をされて、丁重に断られるわけですよ(笑)。そういうのが悔しくて仕方がないので、いつかそれをはねのけてやろうと思っていましたね。僕はこれを“負の応援”だと思っていて、振り返ると、そういう応援が研究開発を続けるモチベーションになっていたんだと思います」
 “負の応援”を力に変えて、研究開発に挑み続ける。その裏にはもう一つの信念があった。
「何かに挑戦しようとすると、知ったかぶりの人が、そんなのできないよと言いますが、未来は未知で、その人が口にする未来は体の良い未来でしかない。未来は、努力した結果でしかないんですよね。もちろん努力しなかった未来もあるかもしれませんが、それは人様が作った未来ですよね。自分が努力して実現したことが本当の未来なので、他人が言うことを鵜呑みにしちゃいけないんじゃないかなと思います。結果論ではありますが、自分で切り拓いたことが、かつて思い描いていた未来になる。それと同時に、未来は自分で切り拓くもので、決まったものではない。夢や実現したい未来があるのなら、誰が何と言おうと挑戦し、努力し続けるべきだと思います」

國中均 くになかひとし 1960年生まれ。愛知県出身。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所教授。東京大学大学院工学系研究科・航空宇宙工学専攻教授を兼任。また、2015年には宇宙探査イノベーションハブ ハブ長に就任。小惑星探査機・はやぶさのイオンエンジンの開発に尽力。2010年のはやぶさの帰還時に大きな注目を集める。

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