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YADOKARI

未来住まい方会議

アートディレクターのさわだいっせいとプランナーのウエスギセイタを中心とする「住」の視点から新たな豊かさを定義し発信する集団。ミニマルライフ、多拠点居住、スモールハウスを通じ、暮らし方の選択肢を提案。主な活動は、『未来住まい方会議』運営、スモールハウスのプロデュース、空き家・空き地の再利用支援ほか。
250万円のスモールハウス『INSPIRATION』販売開始。http://yadokari.net/

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未来住まい方会議

第15回「離島暮らし」

2016.8.20



米子空港に降り立ち、タクシーで境港を目指す。商店街には妖怪のブロンズ像がずらりと並んでいる。ここ境港市は、漫画家・水木しげるの故郷なのだ。フェリーが出るのを待って並んでいるのは、ユニホームを着た中学生たち。遠征試合か、それとも合宿だろうか。

四角い枕を借りて2等席のカーペットの上に寝転んでみる。フェリーに乗ると誰しも無防備に横たわるのは何故なんだろう。眠たくもないのに寝かされた、保育園のお昼寝の時間を思い出した。
フェリーは滑るように港を立つ。波はとても穏やかだ。これから約2時間半かけて、離島に移住した友人に会いに行く。

やがて霧にけむる水平線の先に島々が姿を表した。隠岐諸島は大きな4つの島と、180を超える小島からなる。本土に近い「島前」には、知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)の三島。そしてその先には、大きな道後島(隠岐の島町)がある。隠岐は鎌倉時代、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が配流され、19年間を過ごした地でもある。

われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波かぜ心してふけ

「増鏡」に残された歌に滲み出るのは、気性の強さだけではなく、真冬の日本海のような激しい哀しみ。しかし今、季節は夏。小雨が降る幻想的な港は、そんな厳しい顔は見せない。波止場で手を降って迎える友人の姿が見えた。
「よう来たなあ」
10年ぶりに会う彼は、すっかり日に焼けた黒い顔をしているが、関西訛りはそのままだった。
隠岐には移住者が多い。それも、20代から40代の働き盛りの世代が、日本各地からこの島にやってくる。若き移住者は、「都会の暮らしに疲れたから」というわけでもなく、新しく動き始めた「まち」に興味を持ってやってくる。ここでは与えられた仕事をこなすのではなく、移り住んだ人々が自ら仕事を作り上げていく。

例えば、中ノ島の海士町(あまちょう)には、数年前まで公共図書館がなかった。それが当たり前だったから、もともとの島民は図書館を使った経験がなく、必要性も感じていなかった。けれど移り住んだ者にとっては、離島の生活にだって図書館が欲しい。ないのなら、いっそのこと島をまるごと図書館にしてしまったらどうだろうか。あちこちのスポットに本棚を置き、貸出や返却ができるようにするという、移住者が考えだした「島まるごと図書館構想」はどんどんとその根を伸ばし、ついには海士町中央図書館が誕生したのだ。
そんなふうにして、離島で新しい芽が次々に育っていく。人が人を呼び、島での生活で新しい力を身につけ、また違う地方を盛り立てようと巣立っていく若者も出てきているらしい。

浜の食堂で刺身定食をご馳走になる。
「サザエが呆れるくらいとれるんやで。網焼きにも飽きて、カレーの具にするぐらいにな」
おまけでついてきたサザエのつぼ焼きを僕に譲りながら、友人は笑ってそう言った。

島前の三島は、大昔にはひとつの火山島だったそうだ。海面の上昇により、島は3つに分断された。とても近いのに、水が豊かな中ノ島に対して、西ノ島では稲作ができない。代わりにその雄大な断崖絶壁では、牛馬がのびのびと放し飼いされている。ある季節は麦や大豆を育て、またある時期には牛馬を放牧して雑草を食べさせ、糞尿で土地を肥やす。そんな循環型の農業は「牧畑(まきはた)」と呼ばれ、400年以上の歴史があるのだという。

朝から振り続いていた小雨はやんで、透けるような青空になった。友人の運転で島を巡る。これが同じ日本だとは思えないくらい、雄大な地形がすぐ近くにある。人がそばを通ることなんかお構いなしに、悠然と草を喰む牛。空の上に浮いているような錯覚。まさに地上の楽園だ。

離島での生活は、息苦しいこともあるのではないか、と僕は思ってしまう。それでも彼は、「他の場所に住むなんて考えられへん」と言う。島を活き活きさせる力、豊富な海の幸、圧倒的な大自然。そんななかで彼は、懐かしい関西訛りのまま、すっかり島の民になっていた。民宿に泊まり、部屋にぶらりと遊びにきた彼と、遅くまで隠岐の日本酒を飲んだ。話題は昔のことよりも、今の暮らしのことの方が多かった。

本当は僕は、心配していたんだ。しばらくぶりに会う彼が、その小さな島のなかで、小さく閉ざされて生きているんじゃないかと。そんなことはまったくなかった。
本土からフェリーで2時間半。そこへ移住していく人々は、田舎に遁世する世捨て人なんかじゃない。その小さな島々で、日本全体を変えていけるような力が生まれている。
「また来てや」
海産物のお土産をスーツケースに詰め切れないほどもらって、港を立つ。遥か沖、歴史の教科書でしか知らなかったその島々が、いつでも訪ねていける近しい場所になった。

Via:
女子的リアル離島暮らし(未来住まい方会議 YADOKARI)
http://yadokari.net/category/isolated-island/

I LOVE 島男子♡(未来住まい方会議 YADOKARI)
http://yadokari.net/category/love-shima-danshi/

【インタビュー】東洋一美しい海に浮かぶ島!? 沖縄・来間島に住むクリエイターのライフスタイル(未来住まい方会議 YADOKARI)
http://yadokari.net/okinawa-local/44487/

島根県海士町に人が集まる秘密とは? 「役場は住民総合サービス会社」という山内道雄町長の改革(ハフィントンポスト)
http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/07/ama_n_4232760.html

【島根県海士町】島と子どもの未来を変える「島まるごと図書館構想」(灯台もと暮らし)
http://motokurashi.com/shimane-amacho-library/20150410