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YADOKARI

未来住まい方会議

アートディレクターのさわだいっせいとプランナーのウエスギセイタを中心とする「住」の視点から新たな豊かさを定義し発信する集団。ミニマルライフ、多拠点居住、スモールハウスを通じ、暮らし方の選択肢を提案。主な活動は、『未来住まい方会議』運営、スモールハウスのプロデュース、空き家・空き地の再利用支援ほか。
250万円のスモールハウス『INSPIRATION』販売開始。http://yadokari.net/

YADOKARI

未来住まい方会議

第14回「デジタルデトックス暮らし」

2016.7.20

いつからだろうか。電車に乗ると、スマートフォンに目を落としている人ばかりを見かけるようになった。駅のホームでもそう、コンビニのレジ待ちでもそう。皆、うつむき加減で小さなスクリーンに見入っている。せわしなく動く親指たち。

ふと時間が空くと、そうせずにはいられない。SNSの投稿に、いくつハートマークがついただろう。友人たちやフォローしている人たちは、今この瞬間に何をしているのだろう。どこかに面白い情報は転がっていないだろうか。友人たちと永遠と続く、吹き出しに包まれた会話。隙間時間を埋めてくれる、何か。それはジャンクフードと同じように、空腹を完全には満たしてくれない。塩気の強い、もしくは必要以上に甘ったるい、口元を楽しませるだけのもの。

たくさんの情報に日々触れていながら、あまりかしこくなったような気にならないのは何故だろう。なんだかもやもやしたものが、胸の中につかえているような気がするんだ。

スマートフォンが日常になる前は、隙間時間を埋めてくれるものはテレビだった。家に帰ったらとりあえず入れるスイッチ。画面の向こうには、よく知っているようで本当はなにも知らない、顔なじみのタレントが笑っている。

インターネットは、テレビのように情報を受け取るだけじゃなくて、こちらから発信もできる。ただ、それが時々、上滑りしていくように感じる時がある。スマホのカメラで切り取られた今この瞬間が、なんだか薄っぺらとした現実味の無いもののように。それは、あまりにも日々の時間をインターネットに投影していることの副作用みたいなものだ。ひっきりなしに行き交う情報は、だんだん思考を麻痺させていく感じがする。

1992年、作家のジュリア・キャメロンが『THE ARTIST’S WAY』という本を書いた(後にその本は『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という邦題でサンマーク出版から刊行され、2005年には『今からでも間に合う大人のための才能開花術』というタイトルで文庫化された)。書かれた当時は、スマートフォンはおろか、インターネットも今のように日常的なものではなかった。この本の中でジュリアは、「全てそなわっているという気持ちを取り戻す」レッスンとして、「読書の禁止」を勧める。これは、文字を読まずに一週間を過ごすという試みだ。ジュリアがレッスンの中でこの方法を提案すると、受講者は皆、怒りを露わにするという。「文章を読まずに過ごすなんて、ありえない」。たぶん、2016年を生きる僕らが「インターネットの禁止」を言い渡されたら、おんなじように反発するだろう。

でも、情報の流れを断ち切ることは、想像以上の効能をもたらす。ひっきなりしに続く情報のインプットを堰き止めると、目の前にあるのは「現実」だけになる。ジュリアはその様子を、こんなふうに表現する。

“盾となる新聞を取り払えば、電車の中は目を楽しませるギャラリーに変貌する。没頭する小説がなくなれば(そして、わたしたちの感覚を麻痺させてしまうテレビがなくなれば)、夜のひとときは、家具の――さらに、ほかの前提条件の――配置が変わった広大なサバンナになるだろう。”ジュリア・キャメロン『今からでも間に合う大人のための才能開花術』ソニー・マガジンズ、2005.07、p.167

他にすることがなければ、「今、この瞬間」をすべての感覚を使って受け止めるようになる。それは、ただ「今」に集中する禅の考え方にも通じている。上滑りしていく情報の影に隠された、自分の中の澱のようなものにも自然と目がいくようになる。そうして生み出されるのは、体内でじっくりと発酵された濃密なアウトプットだ。

インターネットは僕らの毎日を大きく変えた。調べたいことがあればその場で検索できるし、気軽に友人たちとコミュニケーションをとることもできる。ひとりの時間でも、絶えず誰かのおしゃべりを聞いているような毎日。それは刺激的で楽しいことではあるけれど、あまりに行き過ぎると、自分の存在さえネットの中に溶け出していくような気がしてくる。

そんな自分に気づいたら、ちょっと立ち止まりたい。日常から完全にデジタルを無くしてしまうことは難しいかもしれないけど、そんな時はインターネットが繋がらない場所に旅に出てみるのもいいかもしれない。今この瞬間を堪能するために時間を過ごすのは、禅の茶室のような小さな家、タイニーハウスがちょうどいいと思う。

今この瞬間を生きること。自分自身の内側に目を向けること。すぐ目の前にいる人と話すこと。インターネットから離れることで、つながるものがある。オフラインだからこそ、見えてくる世界がある。

Via:
デジタルデトックスは仕組みづくりから!デジタル時代のティーハウス(未来住まい方会議 YADOKARI)
http://yadokari.net/minimal-life/42758/