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小宮山雄飛

小宮山雄飛の〈音楽〉

ホフディランのボーカルにして渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダー。「TORANOMON LOUNGE」のプロデュース、食関連の番組レギュラーや雑誌連載も担当するなど幅広く活躍。
詳しくは「hoff.jp」へ!

小宮山雄飛

小宮山雄飛の〈音楽〉

音楽その16

2016.6.20

ご存知のとおり、今年の4月21日にプリンスが57歳の若さで亡くなりました。
僕はこのニュースを聞いた時、しばらくは、ぼーっとして、正直何が起こったのか、信じられませんでした。
そしてやっとこの事態を受け入れた時に頭に浮かんだのは、悲しいとか寂しいとかではなく
「これからの音楽界は大丈夫か?」
ということでした。

もちろん大ファンとして、プリンスの死に対する悲しみもものすごいあったのですが、それ以上にプリンスがいなくなった後の世界の音楽界、とくにポップスの世界は大丈夫だろうか?という心配が先に来た。
そのくらい、彼は全世界の音楽界を引っ張っていっていた存在だったのです。

もちろん楽曲の良さや、詩の良さ、歌のうまさダンスのうまさ、それらどれを取ってもプリンスほど完璧な人はそういません。しかしそれ以上に、純粋に彼がライブで曲を演奏している姿を一目見れば、彼が100%音楽でできていることが分かってしまう、そんな数少ないアーティストでした。
僕らが普通に歩いたり、話したり、ものを食べたり、もっと言えれば息をしたりするように、プリンスは音楽を奏でることができました。

大げさかもしれませんが、おそらく、本来的には音楽ってそういうことだった気がするのです。
動物が求愛のために鳴いたり、ダンスをしたり。あるいは相手を威嚇するために吠えたり、飛びかかったり。そういう生き物に本能的に身についている行為が、人間になって、徐々に楽器などの道具を使うようになっていっただけで、本来的には自分の身体だけで感情や愛情の表現を、音とともに行うのが音楽だったのではないかと。
それが身体と道具が離れたことで、ある種の趣味であり、また練習しないとできない、特殊な場所に音楽という行為が行ってしまったのですが、根本的には自分の気持ちを音にして(それが声であれ、手や胸などを叩くようなことであれ)表すという行為だったんじゃないかと。
その、感情を音楽にして表すという行為を、完璧に、そして自然に行っていたのがプリンスだったのです。
それは単純に楽器がうまい、歌がうまいということではなく、プレイそのものと違う作詞や作曲、そして魅せるという意味でのパフォーマンスも含め、とにかく全ての感情や、人間の持つ力全てをそのまま音楽に反映できるという能力です。

そんな音楽の塊であったプリンスという存在を失ったことは、本当に全世界の音楽界にとって痛手だなと、不謹慎かもしれませんが、彼の死を悲しむよりも前にそんな心配がよぎったのです。
そうでなくとも混沌としている今後の音楽界、これから一体どうなるのか、それは神(と天国へ行ったプリンス)のみぞ知るところかもしれません。