FILT

 端整なルックスと長身は天からの授かり物だ。そこに自己を肉付けする、その作業と常に格闘してきた。ファッションモデルから俳優へ、ARATAから井浦新へ。クールで物静かな青年役から、鬼気迫る殺人鬼へ。幾度もの“転”を繰り返して、いまここにいる。
「10代の頃は音楽とファッションが自分のすべてでした。でも高校卒業を前に、壁にぶつかった。友人たちが目標を持って専門学校や大学に進んでいくのに、僕には『やりたいこと』が決められなかったんです」
 大学で同じ趣味を持つ仲間に出会い、道が開けてきた。音楽や自主映画を作りモデルとしても活躍。23歳でアパレルブランドを立ち上げる。
「デザインに専念するため大学も辞めました。ようやく自分から『やりたい』という気持ちが生まれた、その思いを信じようと思ったんです」
 そんなとき突然、舞い込んできたのが役者の仕事だった。
「友人の写真家が撮った僕の写真を是枝裕和監督が目にして『会ってみたい』と言ってくださった。オーディションでは作文を書いたんです。すべてが初体験だったので『そういうものなのか』と(笑)」
 テーマは「大切な想い出」。音楽との出会いが思い浮かんだ。小6のとき家族旅行中に車のラジオから聞こえてきたビートルズの曲。車窓の風景と相まって猛烈に心を動かされた、あのときの情景を書き綴った。
「『決まったよ』と言われて『どうしよう!』と。でも是枝監督は『そのままで、そこにいてくれればいい』と言ってくださった。そして撮影に入るまでの数ヵ月、毎週一緒に食事をしながら『最近、何かおもしろいことあった?』と、たわいのない話をしてくれたんです。その時間のおかげで僕はいつの間にか、自分の温度やリズムを作ることができた。そして自然に撮影に入っていけたんです」
 その後もデザイナー業に主軸を置きつつ、年に1本ほどのペースで映画に出演。2008年『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』での若松孝二監督との出会いが大きな転機になった。
「企画を知って、初めて自分から『参加させてもらいたい』とお願いしたんです。もちろん、それまでの作品も全て一生懸命にやってきたけれど、ここで自分の価値観を全部ひっくり返されました。キツくて、苦しくて、でも夢中になって『芝居を続けていけば、こういう感動に出会えるんじゃないか』と感じた。その積み重ねで、いまに至っています」
 2012年の改名も、若松作品への想いからだった。
「三島由紀夫役をやらせていただいて、日本の心を描こうという映画にアルファベット表記では違和感があると思った。監督は『突然変えられてもオレ困るなあ。まあ、君の気持ちならいいんじゃない』と(笑)」
 人生における“転”は思わぬ形で訪れるものだとも悟った。
「人生ってそんなものですよね。強い気持ちで『何かを変えてやる』と突き進むことも大事ですが、案外、大切な節目は突然向こうからやってきたりする。あとになって、それが重要なことだったと気づく。それをどう受け入れ、向き合うかで、その後が変わってくる」
 2006年に結婚。二児の父になり、新たな変化もあった。
「父親の姿を示すには、自分も成長しなければと、これまで食わず嫌いしていた物事を、いったん口に入れてみるようにしたんです。そうすることで意外なおもしろさやうまみに気づくこともできるようになった」
 俳優、デザイナーとして20年。継続することの重さも知った。
「毎回、自分自身を驚かせるという意識を持って、新しい表現を探り、勉強を続けていけば、“転”もおのずと生まれてくると思うんです」
井浦 新 いうらあらた 俳優、モデル、デザイナー。1974年生まれ、東京都出身。1998年に是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』で俳優デビュー。近年ではドラマ『アンナチュラル』での解剖医・中堂系役が話題に。主演映画『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』が6月30日(土)に公開。他にも、7月7日(土)に『菊とギロチン』、2018年内に『赤い雪 RED SNOW』『止められるか、俺たちを』が公開。また、2019年には鈴木卓爾監督の『嵐電』、横尾初喜監督の『こはく』と、2本の主演映画の公開が控える。
ヘアメイク/樅山 敦(BARBER BOYS) スタイリング/上野健太郎 衣装協力/眼鏡 \36,000(Savile Row/blinc)、ハット \22,900(CA4LA/CA4LA ショールーム)、コート \260,000、スーツ \260,000、シャツ \31,000、チーフ \12,000、タイ \29,000 (dunhill/dunhill)
特集 転職時代、はじまる。
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